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平成15年1月1日 第422号 P3 |
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目次 | |
P1 P2 P3 | ○座談会 ベストセラーは世相の鏡 (1) (2) (3) |
P4 | ○丹沢のシカ 山口喜盛 |
P5 | ○人と作品 岳真也と『吉良上野介』 藤田昌司 |
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座談会
ベストセラーは世相の鏡 (3)
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高度経済成長——気軽に読む新書判など多様な出版 昭和30年代 |
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ベストセラー化を狙った本づくりを始めた光文社 |
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塩澤 | 「もはや戦後ではない」といわれた31年、その前後に石原慎太郎の『太陽の季節』が出て、時代は高度成長になり、光文社のカッパ・ブックスがベストセラー化を狙った本づくりを始める。
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藤田 |
「創作出版」と言っていましたね。
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塩澤 |
この時代は新書判とか重くない本が多い。ベストセラーはある程度の軽さが必要で、重厚長大なものでベストセラーはなかなか出ない。このころ『性生活の知恵』はミリオンセラーになりますが、これを見ると女性が3、4割も読むようになっている。 |
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藤田 |
『愛と死をみつめて』もこのころですね。やはり女性の読者でしょうね。
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塩澤 | そうです。それから39年の『英語に強くなる本』は百万部売れたと言いますが、調べてみると、百万部に持っていくためにいろいろな工作をしている。後から火の粉をかぶるんですけどね。
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藤田 |
時代の転換期というのは英語に関する本が出るんです。
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社会派推理ブームを巻き起こした松本清張『点と線』 |
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藤田 |
松本清張の『点と線』はどうですか。
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塩澤 | 『点と線』は昭和31、2年ごろ、『旅』という雑誌に連載された。最初は大したことはなかったそうです。とにかく原稿が遅れて、「清張待ち」といって、活版印刷のそのページだけが白紙で待っていた。担当者はノイローゼになり、あるとき、まなじりを決して帰ってきて、「清張を殺して俺も死ぬ」と叫んだ。そうしたら戸塚文子さんが、「殺人は小説の上だけで結構よ」(笑)と言ったそうです。『点と線』は光文社から出版されて、推理小説ブームの発火点になるのですが、松本清張は、カッパ・ブックスの光文社と結びついて大飛躍しています。
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藤田 |
それまでは探偵小説といって、単なる謎解きに過ぎなかったものが、松本清張の『点と線』以来、社会派推理といって、犯罪の社会的な背景に重点を置いて謎解きをやる。そこがブームを巻き起こしたゆえんだと思います。
だから、水上勉も有馬頼義もみんな社会派ブームになって書いた。
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清田 | 戦後、光文社のカッパ・ブックス、そして岩波新書も結構売れて、ベストセラーの上位を見ると30年代まで光文社と岩波新書が多い。
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藤田 |
双璧でしたね。
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清田 | 両方とも新書判で気軽に読める。それが高度経済成長までずっと続いていく。ですから、30年代は本当にいろんな意味で多様な出版物が自由に出せた。
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藤田 |
新しい価値観を生み出してきた時代ですね。
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高度成長を支える経営者たちに読まれた『徳川家康』 |
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藤田 | 『徳川家康』は山岡荘八が最初、北海道新聞に書き始めた。その後、中部日本新聞、西日本新聞と三紙連合で連載を始めたのですが、最初のうちは全く話題にならなかったそうですね。昭和28年に1巻が出たんですが、話題にもならないから新聞広告もできない。それが、ぼちぼち売れ始めて、5、6巻ぐらいのとき『週刊文春』が火をつけた。
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塩澤 | 昭和37年3月26日号の『週刊文春』が、「経営者はクビをきらなくなった—社長さんの虎の巻は、いまや『徳川家康』だ」と特集を組んだんです。これは見事な特集で、ちょうど三一書房の五味川純平の『人間の條件』が朝日新聞の特集で売れだしたのと同じように、爆発的に売れるんです。
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藤田 |
それまで経営者が読むテキストはアメリカ流で、合理化して労働者のクビを切ることばかりやっていた。ところが、これでみんな失敗した。それで日本には徳川家康がいるじゃないかと。 そういうねらいで書いたのではないのに、日本の有名な経営者たちが『徳川家康』を読み始め、それが日本の高度成長の支えになった。
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塩澤 |
佐藤栄作が「この本には政治、軍略、経済から宗教まですべての問題が網羅されている」とちょうちんを持つんです。
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藤田 |
山岡荘八は、日本が敗戦から立ち直るためにはどうすればいいかと考えた。そのためには日本は世界連邦を目指すしかないということなんです。家康は日本で初めて日本全国に覇権を確立した人だから、家康に学ばなければならないということで、大長編に取り組んだ。
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塩澤 | 新聞連載回数4725回、連載期間17年間、原稿枚数にして17482枚、積んでみると山岡の背丈に及ぶ分量だったそうです。
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藤田 | 部数はたしか3,000万部ぐらいにいっていました。 |
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塩澤 |
講談社で中里介山の『大菩薩峠』を枚数で超えたと。高度成長にうまく乗ったんですね。
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「不確実性」の時代——複合汚染、恍惚の人は時代の言葉に 昭和40〜60年代 |
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テレセラーのはしりは海音寺潮五郎の『天と地と』 |
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塩澤 | 40年代に入って、テレビがほぼ日本の一般家庭にもいきわたり、影響を持ち始める。それで、海音寺潮五郎の『天と地と』がテレビの大河ドラマの原作になって、ものすごく売れ出す。ベストセラーに対して“テレセラー”という言葉もつくられた。ところが海音寺は「文学がテレビの力を借りなければ読まれないというのは嘆かわしい」と激怒して現役引退を発表した。テレビの影響はその辺から大きくなってきた。
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藤田 |
朝日新聞の一千万円懸賞小説に入賞した三浦綾子の『氷点』もそうですね。
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塩澤 |
これもテレビでも映画でもやり、超ベストセラーになりましたね。
多湖輝の『頭の体操』は今でも続いていますね。 |
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藤田 |
それから、経済成長の中で「管理社会」という言葉が出てくる。効率よい経営、効率よく生きるためにはどうするか。そういう議論が60年代後半から起こってきて、究極が大学紛争、まさに政治の季節が来るわけです。 その中で、70年代に光文社の争議が起こり、ベストセラーの中から光文社のカッパ・ブックスが消え去り、それにかわって、KKベストセラーズ、祥伝社、青春出版、ごま書房などが出てくる。 |
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塩澤 |
全部カッパの亜流ですね。
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藤田 |
それはその後もずっと続いていますね。カッパ・ブックスの大ヒットはそんなにないですものね。
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塩澤 | 40年〜50年になってくると有吉佐和子の『恍惚の人』『複合汚染』が時代の言葉になっていく。ベストセラーが時代の言葉をつくった。僕は、ベストセラーにはタイトル・テーマ・タイミングの3つのTが不可欠だと言ってるんです。有吉佐和子はすごいストーリーテラーですが、タイトルも見事でした。ガルブレイスの『不確実性の時代』もズバリのタイトルでうまかった。
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転換期におけるリーダーのあり方で司馬遼太郎ブーム |
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藤田 | 70年安保という時代はどうですか。 |
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清田 | それまで文庫というと新潮社と岩波文庫で、そこに角川文庫が加わり、この3つの文庫が中心だったんですが、そのなかに、71年に講談社文庫が参入してくる。その影響を一番受けそうなのが角川文庫だった。それで、いかに講談社を迎え撃つかということで出てきたのが、横溝正史の『八つ墓村』を文庫でリバイバルさせ、さらには映画もつくり、音楽をつくるという角川商法を打ち出した。これが角川書店のメディアミックスによる本の売り方につながっていく。
ですから、講談社文庫の創刊は、その後の文庫ブームに影響を与えた。文庫を出してない出版社が企業防衛として文庫を創刊する。戦後第二次の文庫ブームになり、文庫の銘柄も急速に増えます。そうすると、当然、文庫本の質に変化がおこるわけで、文庫はエンターテインメントが中心で消費財的になっていく。 |
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塩澤 |
書き下ろしも出た。
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藤田 |
司馬遼太郎ブームもありましたね。
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塩澤 |
これもテレビと実にうまく連動している。『竜馬がゆく』『坂の上の雲』。
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藤田 |
司馬史観というのが非常に現代人受けしました。これは、転換期における人間の能力の発揮の仕方なんですよ。高度成長期から暗雲がただよい始めた転換期に、日本人のリーダーはどういうふうに能力を発揮すべきかということで、非常に読まれた。
しかし、今、「司馬遼」ブームではなくなってしまったところに、日本の闇の深さがあるような気がします。 |
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タレント本は誰が書いたかでなく誰の本かが重要 |
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塩澤 | このころから『プロ野球を10倍楽しく見る方法』などの、いわゆるタレント本といわれるものが出てくる。これらの多くは、ゴースト・ライターによって書かれている。でも、そのことは出版界の暗黙の秘密になっていた。それをNHKの「出版界最前線—ベストセラーをねらえ」でほのめかしたんです。それに対してKKベストセラーズの社長は「誰が書いたか書かないかでなく、誰の本ということが重要だ」と。そしたら新聞の投書に、今まで一生懸命読んでいたけれど、ほかの人が書いたのか。これから読むときに考えなきゃと。
昭和の終わりごろには『サラダ記念日』(俵万智)、『ノルウェイの森』(村上春樹)が出ます。この読者は若い女性です。それで「ベストセラーの陰に若い女性あり」というテーゼができ、これが「吉本ばななブーム」につながっていく。 |
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バブル崩壊——既成概念を打破したものがベストセラーに 平成時代 |
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「ご苦労だったな」と肩をたたいてくれる藤沢周平の文学 |
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塩澤 | 平成に入ると、「55年体制」が崩壊し、バブルが崩壊し、出版の流れが1996、7年をピークに落ちていきます。今までと明らかに違ったものは、吉本ばななみたいな人がポンと出てきて、1年に4点も、5点もベストセラーになっていく。バブル崩壊で、中野孝次の『清貧の思想』、これも世の中にうまく対応している。
それから、オウム真理教のサリン事件や阪神大震災は世紀末に当たる。こういうときに、『脳内革命』『大往生』とか、アッと驚くようなものが出てくる。人前では読めない『失楽園』が超ベストセラーになる。 |
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藤田 |
そういう時代に藤沢周平が読まれた。癒しの文学です。それまでの時代小説は全部スーパーマンで、頑張れよという小説。それに対していや、ご苦労だったなと言って肩をたたくんです。
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さまざまな話題づくりでビッグセラーが誕生 |
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塩澤 | 戦後、日本株式会社と言われバブル景気に酔っていた。その株式会社が倒産の危機にある。そのときにすごいものが出てきます。『五体不満足』(乙武洋匡)、『だから、あなたも生きぬいて』(大平光代)というような、全く無名の若者の本が超ベストセラーになる。
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清田 |
そういうことを背景にして97年の『失楽園』、98年の『大河の一滴』、99年の『五体不満足』、2000年の『だから、あなたも生きぬいて』、『脳内革命』がメガヒットし、二、三百万部という大部数になるわけです。 これは一昨年の『チーズはどこへ消えた?』『ハリー・ポッター……』まで含めるととにかくベストセラーでもビッグセラーになる。売れ筋がわかれば、出版社も取次も書店も積極的にそれを宣伝し、パブリシティをやる。あるいはマスコミがそれをテーマにして、話題のキャッチボールをする。相乗効果で売れる。 しかし、売れないものはなかなか売れないという両極端になっていく。それが今の状況ではないでしょうか。 |
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高齢化社会における癒しの本『生きかた上手』 |
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藤田 |
さらに、日野原重明の『生きかた上手』とか石原慎太郎の『老いてこそ人生』がベストセラーになっている。
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清田 |
『生きかた上手』は高齢化社会における癒しの本として読まれる。あるいは石原慎太郎を始め中高年者が書いた本は、年齢の高い人たちが読んでいると思うんです。それは厳しい状況の中でいかに生きるか、という広い意味での人生論です。藤沢周平の「たそがれ清兵衛」にしてもそうだろうと思います。
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塩澤 |
そういうものを活字で読み取っていく深さは大変大きいものだと思います。本の持つ意義は大きいし、本はそれにこたえてくれるものだと思うんです。
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藤田 |
空前のベストセラーの『ハリー・ポッター……』は少年・少女たちの心情をピタッとつかまえた。大人に反抗しながらファンタジーが展開されていくわけです。
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清田 |
子どもたちはファンタジー、大人は人生論、中高年は、日野原さんを始めとする人たちの本を読む。階層化しているという感じですね。
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藤田 |
既成概念を打破したものがベストセラーになっている。ベストセラーの意外性はそこにあるわけですね。
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しおざわ みのぶ |
1930年長野県生れ。 |
著書『定本ベストセラ−昭和史』展望社2,310円(5%税込)、 『本は死なず』展望社1,785円(5%税込) ほか。 |
きよた よしあき |
1943年福岡県生れ。 |
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