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平成17年3月10日 第448号 P1 |
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○座談会 | P1 | 中華料理と横浜中華街 (1) (2)
(3) /林康弘/伊藤泉美/藤田昌司/松信裕 |
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○特集 | P4 | 伝えたい日本古典文学の魅力 ツベタナ・クリステワ | |
○人と作品 | P5 | 福井晴敏と『6ステイン』 |
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座談会 中華料理と横浜中華街 (1)
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右から伊藤泉美さん・林康弘氏・さん・藤田昌司氏と松信裕 |
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はじめに |
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松信 |
昨年、文春新書で『中華料理四千年』が刊行されました。 この本には、中華料理の歴史や由来、中国各地の料理や作法など、日本人にとって最も身近である中華料理に関して、いろいろなエピソードをまじえて、その真髄が紹介されています。 日本の中華料理といえば、横浜中華街がよく知られております。 そこで、本日は本場の中華料理、横浜の中華街などについて、お話を伺うことにしました。 『中華料理四千年』を書かれたさんは、中国広東省のご出身で、東京でお生まれになりました。
広東共産党員だったお父様は、1927年、蒋介石の軍事クーデターから逃れるため18歳で来日されました。 お父様のことを書かれた『遙かなる広州』、ガイドブック『譚夫人[マダム・タン]の欲深的香港の旅』などのご著書がございます。 伊藤泉美さんは横浜開港資料館の調査研究員で、横浜中華街や華僑の歴史について、研究をされております。 きょうは藤田昌司さんに進行役をお願いします。 |
◇四大料理の他にも地方料理がいっぱい |
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藤田 |
譚さんは今まで、日中関係の近現代史を書かれておりますが、中華料理の歴史についてお書きになられたきっかけは何だったのでしょうか。 |
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譚 |
私は、お料理は本当は書くよりも食べたり作るほうが大好きなんですけれども、父の香港の友人に「食家」、つまり食べる研究家がいらして、その方が広東料理についてすばらしい本を何冊か書いていらっしゃるんです。 例えばこれは昔話のようなストーリーにしてあるんですけれど、お客様が突然いらっしゃった。 だけど自分のうちは非常に貧乏でお金がない。 冷蔵庫もない。 棚に卵が一個しかなかった。 これでお客様をどうやってもてなすかというので、お湯を沸かし、卵の白身を落として、味つけをして、これでスープが一つ。 それから卵の黄身を浮かべたお碗をお料理として出した。 そこにご主人が詩をつけるんです。 霞のような空の日にあなたがいらっしゃってくださったので、私たちの家庭の中はまるで明月が光るような明るい気持ちになりました。 非常に歓待しておりますというような詩を書く。 そういう風雅なエッセーが一冊の本になっているんです。 そういう本を子供のときから見ていて、こういう本が書けたらいいなと思っていたんです。 たまたま、文藝春秋で「何か好きなものを書きませんか。 何でもいいですよ。」とおっしゃってくれたので、私が長年大好きで、でも、今まで書くチャンスがなかった食べることを書いたんです。 |
広い中国では杏仁豆腐や肉まんを知らない場所も |
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林 | はい。 ですから、例えば日本では誰でも知っている杏仁豆腐とか肉まんなども、知らないような場所がたくさんあります。
中国は本当に広い国ですから、ヨーロッパがたくさんあって、しかも、ヨーロッパほどお互いに行き来がないと思ったほうがいい。 広東でも地方によって言葉のアクセントが全然違って、通じない。 |
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譚 | そうなんです。 私は東京生まれの横浜育ちなので、一度、中国大陸で暮らしたいと思いまして、父の出身の広東の中山[ちゅうざん]大学で日本語を教えたんです。
あるとき、大学に田舎から人が遊びに来てくれたのですが、何を言っているのか分らない。 私は広州の標準広東語は分るのですが、田舎の広東語は全然分らない。
しようがないから通訳を立てようというので、広州出身の若い事務局のスタッフを呼んできて聞いてもらったけれど分らない。 事務局の局長は北京人で北京語しか分らない。
1時間話していて、結局、言葉は通じなかった。 |
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林 |
私の父は[バン]といいまして、19歳のとき、広東から横浜へ来て料理人として働いていました。 父は、戦後まもなく、父と親しかった鮑という人が今の聘珍樓本店の場所で経営していた中華料理店を店舗ごと受け継いだんです。 父の時代、中華街で中国人同士がけんかをすると、「ナニイウカ、オマエ」と下手な日本語でやるんです。 おもしろかったですね。 お互いの中国語が通じないんです。 |
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譚 |
私の父も10種類広東語が話せると言っていました。 そんなにあるのと思ったら、それどころじゃない。 10種類ですべてじゃないですね。 |
◇北京料理のルーツは山東料理 |
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譚 |
生のニンニクは中国でも東北の人は食べますね。 |
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林 |
水餃子を食べるとき、生のニンニクをガリッとやってかまずに、水餃子を口に入れて一緒に食べるんです。 これが山東の食べ方。 |
山東料理の元祖孔子様はかなりの偏食 |
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譚 |
北京料理は北京で生まれたのではなくて、山東省から移って行った。 山東の人が北京に上がって、最初にやった仕事が食べ物屋さんで、屋台から始まったんです。 |
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藤田 |
政治の中心地だったから、食べ物屋さんが行ったわけですか。 |
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譚 |
そうじゃなくて、戦争の被害で北へ逃げて行った。 どうも山東省の料理の元祖は孔子様のようですね。 |
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林 | 余りにも古い話だけれど、山東ですからそういう説もありますね。 |
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譚 | 北京ダックで一番必要なネギも、山東省の辛い長ネギを使うのが一番おいしいと言われています。 |
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藤田 | 孔子というと、粗食のイメージがありますけど。 |
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譚 |
そんなことはないですよ。 孔家のメニューには、百品もあるぜいたくな料理がありますが、孔子様は握りこぶしよりも大きな動植物は食べない。 だから、鶏でも丸ごとのローストなんか食べない。 ほかにも、あれは食べない、これは食べないという記録が残してあるんです。 ということは、かなりの偏食だったんじゃないか。 そういう点では山東料理の基本はゲテモノは一切ない。 野菜でも肉でも非常に常識的な範囲のものなんです。 孔子の儒教思想が料理にも反映されている。 |
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松信 | 南北で料理の違いはあるんですか。 |
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譚 |
孔子の時代に、南北の料理文化が分かれた記録があります。 その最初から、南方系のお料理は野性の動物だとか、自然界にあるいろいろなものをそのまま何でも試してみようじゃないかというところがありますね。 |
満漢全席は西太后の権力の象徴 |
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藤田 |
中華料理には非常に珍味とされているものがありますね。 |
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林 |
「満漢全席[まんかんぜんせき]」という、清王朝の満州族と漢民族の両方を合わせた宮廷料理があります。 アルマジロとかタヌキとか、象の鼻とか、サルの脳みそとか、いろんなものがあるんですが、それは基本的においしいからではなくて、西太后がどれだけ自分のパワーが遠くに及んでいるかを示すためにやった料理なんです。 西太后は地方に行くのでも、列車ごとキッチンで、何十人ものコックさんを連れていくような人で、こんな珍しいものは皆さん食べたことはないでしょうという権力の象徴として料理を振る舞う。 もちろん体にいいとかはあるけれど、一般的に普通の人が食べるものじゃないです。 つまり、食文化は政治的なものにも使われる。 それは部下に対してとか、国内への権力の一つのインプレッションでしょう。 象を食べたなんてびっくりしますね。 そんなものはどこにあるんだ。 それだけ力があるということを象徴するためだと思いますね。 |
つづく |