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第57回 2008年9月4日 |
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小説を愛する人にこそ読んでほしい 『当マイクロフォン』 |
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9月に入り、秋の風が恋しく感じられる今日この頃。 感傷的な気分に浸りたい季節の到来である。 今回は、これからの季節にぴったりの1冊をご紹介したい。 |
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今は亡き中西龍(りょう)というアナウンサーを皆様はご記憶だろうか? 名前を聞いても顔が思い浮かばない方が多いと思うが、テレビドラマ『鬼平犯科帳』のナレーションや、「せき・こえ・のどに浅田飴」のCMの声の主と言えば、ああ、あの人か、と思い当たる方もいるかもしれない。 「歌に思い出が寄り添い、思い出に歌は語りかけ、そのようにして歳月は静かに流れていきます」—NHKラジオ『にっぽんのメロディー』で流れた名調子を、リアルタイムでなくともどこかで耳にしたことのある人は多いはずだ。
タイトルの「当マイクロフォン」とは、中西が出演する番組で自分を指す時に用いていた代名詞である。 「当マイクロフォンには娘がおりませんが」といった具合に。 著者の三田完は、テレビディレクター、プロデューサーとしてNHKに勤務していた経験があり、俳号を持つ俳人でもあるので、詩の世界にも造詣が深い。 昭和という時代の雰囲気を描くのがとても巧い作家で、この作家が阿久悠をモデルにした作品を書いたらすごいものになるのではないかと思っていたのだが、『当マイクロフォン』を読んだら、もうこれ以上のものを望んではいけないという気持ちになった。 それくらい、本書を読み終わった後は充足感を覚えた。 まず、この中西龍という人物の破天荒ぶりが実に魅力的に描かれている。 昭和3年、後に東京都の港区長になる父親のもとに生まれ、昭和28年NHKに入社。 お堅い経歴にも関わらず、中西は転勤する先々で遊郭に入り浸り、水商売の女性と付き合い、怒りにまかせて女性を殴ったりもする。 その一方で、情に厚く、涙もろい。 彼の二面性、というか無軌道ぶりは、読んでいて眉を顰めるどころか、なんと面白みのある人物なのだろう、と目が離せなくなる。 また、赴任する先々で問題を起こす彼は、熊本→鹿児島→旭川→富山→名古屋→東京と異動になるのだが、その土地土地で出会った人たちと詩情に満ちたやりとりを交わす。 それが、何とも言えず含蓄深い。 本書は小説でありながら、一編の詩集と呼んでもいいほどだ。 主人公と登場人物たちの交流の深さに、人生とは他人とふくよかな関係をどれだけ築けるかに尽きる、と教えられた思いだ。 本書は、中西龍自身の魅力に負うところが大きいが、三田完のうたごころがなければ、これほど芳醇な小説にはなり得なかっただろう。 三田完と中西龍—この組み合わせの妙を味わうことができて、本当に幸せだと思う。 |
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今回は、江戸川乱歩賞受賞作・翔田寛『誘拐児』と、今年度下半期の大収穫・柳広司『ジョーカー・ゲーム』もご紹介したかったのだが、『当マイクロフォン』があまりにも素晴らしかったのでこの1冊のみ! |
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文・読書推進委員 加藤泉
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