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有鄰


平成12年1月1日  第386号  P5

 目次
P1 P2 P3 ○座談会 本とインターネット (1) (2) (3)
P4 ○関ヶ原合戦と板部岡江雪  下山治久
P5 ○人と作品  風野真知雄と『刺客が来る道』        藤田昌司

 人と作品

日本統治下の台湾での阿片追放を描いた歴史小説

湖島克弘と阿片試食官
 



  人口の六%強の阿片中毒患者を五十年で追放

 湖島克弘氏の『阿片試食官』(徳間書店)は、日本統治下の台湾の実情を描いた注目すべき歴史小説だ。 台湾の医事衛生の改善に尽力して台湾人の希望の星と仰がれた杜聰明博士に、作者の造形した虚構の人物を からませ、阿片追放の苦闘の歴史をたどる。

 「私はもちろん日本人ですから、台湾統治には批判的な立場ですが、この作品では第三者的立場に立って、 両方のホンネを引き出そうと努力しました」

 日清戦争(一八九四−九五)の勝利の結果、日本は清国から台湾を割譲され、台湾総督府が治者となる。 その際、統治の急務として取り上げられたのが阿片の追放だ。当時台湾には、推定十六万九千人の 阿片中毒患者がいた。人口の六%強が阿片中毒にかかっていた。

湖島克弘氏
湖島克弘氏
 当初総督府は阿片の売買、吸煙を断固取り締まる厳罰主義でのぞもうとしたが、禁断症状に伴う中毒患者 の苦痛に配慮、後藤新平衛生局長の献策により漸禁策に転向、公医の認定による中毒者にのみ吸煙を許した。 この政策が功を奏し、日本統治五十年目の一九四五年(昭和二十)六月には、阿片患者絶滅宣言が出される に至った。この間、一九二四年(大正十三)には国際阿片会議で日本の阿片追放策が各国から絶賛されている。

 「外務省の資料で、日本は五十年で台湾から計画通り阿片を追放したとあるのを見て、取材を始めたん です。しかし調べてみると、もっと早い時期に絶滅できたはずなのに、阿片税という税収がからんでいた ため、途中から総督府は阿片患者を歓迎するようなことになってしまったということもわかって、ますます 関心が出てきたわけです」

 日本統治下、阿片は専売局の工場でのみ製造されたが、奇妙なことに阿片吸煙者が急減していったにも かかわらず、この工場での阿片製造は太平洋戦争とともに、昼夜兼行のフル操業となった。それはなぜか。

 作者は当時の専売局担当官にインタビューし、阿片を占領地などに流したのではないかと追及したが、 「そんなことは一切ない」との答え。ところが側にひかえていた奥さんが突然、夫に「あなた、いい加減、 本当のことを話しなさいよ」と発言したという。事実は闇の中なのだ。

  主人公は日本統治下の阿片製造工場の試食官

 この小説の主人公は、日本統治下の阿片製造工場で、阿片試食官となった巌炳煌。作者が作った人物だ。 炳煌は杜聰明と並ぶ公学校(小学校)の秀才だったが、父親が阿片中毒のため家が貧しく、秀才コースの 医学校には進学できず、やむなく学費のいらない国語学校師範部に入り、次第に反抗的な若者となり、 立ち読みをとがめた書店の店員を殴ったことが原因で退学処分に。社会の底辺で働くうちに日中両国語の 才能を認められて専売局阿片工場の見習い工員となり、やがて阿片試食官に取り立てられる。阿片を吟味 する役だ。阿片“試吸”ではなく、“試食”というのはおかしな用語だが、清国時代からの慣用語だという。

 ところで、この炳煌には美恵という美しい妹──実は炳煌の妻とするべく買われてきた童女──がいたが、 家の窮乏に伴って、よそへ売られてしまう。炳煌はこの妹を買い戻そうと必死で働くが資金的に及ばず、 ついに阿片をひそかに持ち出す。豚の腸に詰めて肛門に押し込んで帰宅するのだ。阿片は法外なヤミ値で 取り引きされていた。だがやがて、炳煌自身、阿片中毒になってしまう。

 「この作品では炳煌が何年も試食官をやったように書きましたが、実際は中毒にならないよう一、二年で 交替させていたようです」

 炳煌のたどった人生が底辺社会だとすれば、杜聰明は日の当たる栄達のコースを順風満帆で進んだ。 医学校−医学専門学校−日本内地留学−医専助教授を経て台北帝大医学部教授、勲一等勅任官に任ぜられ、 台北の官立、私立、法人のほとんどの病院の院長を兼任するようになる。

 台湾の阿片患者絶滅宣言から二か月後に日本は降伏。暴動が頻発して物情騒然となる中、一時は危険を 感じて身を潜めた杜聰明は、実績を認められて返り咲き、ヤミ屋に転落していた巌炳煌も専売局の副工場長 として招聘され、ストック阿片の管理を担当させられる。だが、進駐してきた国民党陳儀長官麾下の軍人、 官僚は貪官汚吏(たんかんおり)の集団に近かった。この作品はそれに抗議する二・二八事件(一九四七年)で終わっている。

 作者は一九三三年、大阪生まれ。戦時中、家族と台湾に渡った。「台湾人の友達が多く、阿片を吸煙する 大人たちも見ました」。戦後引き揚げ、各種業界紙の記者を経て、現在岸和田市で自営のかたわら執筆を 続けている大型新人。
1,890円(5%税込)。

(藤田昌司)


(敬称略)


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