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平成13年2月10日 第399号 P4 |
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目次 | |
P1 | ○戦後横浜 華やかな闇 山崎洋子 |
P2 P3 P4 | ○座談会 仏像修理 (1) (2) (3) |
P5 | ○人と作品 もりたなるおと『昭和維新 小説五・一五事件』 藤田昌司 |
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座談会 仏像修理 (3)
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明珍 | それはこれからの宿題かもしれませんね。 |
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岩橋 | ええ。朝祐が、覚園寺だけでも応永八年から十数年にわたって修理をやっているということは、仏所を構えているだろう。
現段階では、あくまでも伝えですけど、当初、辻ノ薬師の十二神将像は覚園寺の入口に位置する東光寺にあったと いうのは符合するなという気がします。まだ憶測ですが。 |
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明珍 | 今、小田原の宝金剛寺の不動明王像を修理しているんですが、この像からは舎利がでてきました。
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岩橋 |
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明珍 | この像は一木割矧(わりはぎ)造りで、首が抜けるようになっていて、胎内に経巻などが納められていました。ところが頭の中は
見えなかった。舎利はそこに置かれたまま気づかなかったようです。それから密教系の寺院では護摩といってお札をお堂の中で 焚きますから、煤で真っ黒になっていた。それをきれいに取り去ってみると、青不動で、体の青色や、当初の衣の朱の彩色や
文様がでてきました。 |
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頼朝の髪の毛や抜けた歯を納入した例も
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高橋 | また納入品のことになりますが、運慶作と考えられている愛知県の滝山(たきさん)寺本尊の聖観音像には、頼朝の髪の毛と
抜けた歯が納められているという記録がありますね。解体修理ができないのでX線透視撮影をしたところ、髪や 歯らしきものが納入されていることがわかったそうです。
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明珍 | 伊豆の修禅寺でも、大日如来から女性の髪の毛が出てきている。 |
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高橋 | くしで髪を整えるとき髪の毛が抜け落ちる。それを、女性も男性もずっと蓄えておく。女性はそれをかつらの
一部に使ったり、亡くなった後につくられた仏像の像内に入れられたらしいですね。 頼朝は、建久五、六年(一一九五)の頃、歯痛に悩まされ、その歯が抜けたらしい。それを誰かが残しておいて 亡くなった後、滝山寺の聖観音像に入れたようです。 |
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亡くなった人の追善供養と極楽往生を願う
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編集部 | なぜ、納入品を入れるんですかね。 |
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高橋 | 亡くなった人の追善供養のために、生前身につけていたものということで、お釈迦さんの舎利を後生大事に
守るため、五重の塔とか、三重の塔をつくるのと同じように、仏の慈悲で極楽往生を遂げてほしいという祈念の 形見でもあるんでしょうね。 |
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明珍 | そうでしょうね。あと同時に願文が入っている場合が多いですね。 |
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編集部 | 運慶がつくったことが記されている伊豆の願成就院とか、横須賀の浄楽寺の胎内銘札がありますね。そういうものを
入れるのは鎌倉初期の頃からですか。 |
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高橋 | だいたい運慶の仏像から納入品が始まるようですね。 |
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明珍 | あまり古いところでは少ないですね。像にじかに書く場合はたまにありますが。 |
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高橋 |
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明珍 | 僕が一遍驚いたのは新潟のあるお寺の仁王像を、うちまで運んできて、解体しようと思って、ちょっとこじたら
ネズミの赤ちゃんが。中は巣になっていた。これは今まで二件ありました。 |
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高橋 | 生きものも奉納されたかったんでしょうかね(笑)。 |
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海蔵寺の薬師如来像には仏面が納入
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編集部 | 一般に納入品は他にどんなものがありますか。 |
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岩橋 | 銘札や文書のほか、仏様が入っているケースもある。代表的なのは海蔵寺にある薬師如来坐像です。
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明珍 | これは割にありますね。三宅島にもあるね。 |
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高橋 | 鎌倉は禅宗のお寺が多いから、当然、祖師像やご開山の像だとかありますね。それはどうなんですか。
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高橋 | 正統院の高峰顕日像には、霊骨を合子(ごうす)に入れて納めたという文書があり、実際に舎利があります。
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明珍 | 横浜の弘明寺仁王像の修理もしていますが、これは反対に胎内に納められていたはずの記録が無くなって
いる。明治の末に修理されていますので、その際に取り出されて行方不明になってしまったんでしょう。残念ですね。 |
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編集部 | 保存とか修理の意義は、どういうところにあるんでしょうか。 |
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明珍 | 平安期のものと同じものはつくれないです。たとえば鎌倉期のものだって、今つくれといったってできない。
これは不思議ですね。 |
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岩橋 | 修復はむしろ、創作より難しい部分があると思うんですが。 |
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明珍 | やり過ぎてもいけないし、保存修理ですよね。現状維持というか。 以前、奈良国立博物館の館長をつとめた倉田文作さんから、「修理はイデーだよ」と言われたことがあります。 私なりに解釈しますと、仏様の美しさの本質を見抜いて引き出すことだと思います。時間的に変化したものを 元に戻し、また後世の修理などもぬぐい取って、その像がもっている一番の美しさに近づけるということでしょうね。 |
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高橋 | 埋蔵文化財が、土の中に何百年もの間埋もれていて、ある時の発掘で発見され、かつての歴史の一コマがわかるのと
同じように、仏像の像内という閉じられた空間の中にひっそりと何百年の間、秘められていたものが、解体修理というときに 光が当たる。それは、かつての歴史の証言を公開するということでしょう。歴史の証言の再確認、発見ということだと思います。
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岩橋 | その辺は本当に重要だと思います。ただ、それなりに仏様に対する畏敬の念は必要だと思うし、ややもすれば、
考古学で最近問題になっていますが、宝探し的な、銘文や銘札を見つけたいから、解体しようよって、これがよくも 悪くもあるんですね。 |
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明珍 | あと、修理で痛々しいのは、たとえば鎌倉時代の見事な切金という金とか錫などで描いた文様があったり、立派な
彩色があるのに、その上にダーッと塗って、金ピカにする。これはとるのが大変なんですよ。 |
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岩橋 | ひと頃は、仏像修理に限らず後継者がいなかったのですが、最近は、より専門的な仕事をしたいという人も
多く、仏像修理に限らず表具も指し物の世界も、志願者はいっぱいいる。 |
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高橋 | 先生のところのスタッフは何人ですか。 |
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明珍 | 末子の素也が一緒に仕事をしてくれております。そのほか六名のスタッフがおります。仏像というのは木でつくるから、
木のことを知っていなきゃいけない。それから刃物のことも漆のことも。文様や絵もかかなきゃいけない。飾りの 金具のことも。一つ一つがわかるようになるまでには、やっぱり二十年ぐらいはかかると思います。
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仏具屋さんとは根本的に異なる修理
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岩橋 | 今は修理にあたってその方法とか、材料の問題など、昔と随分違ってきています。一番端的には、俗に言う
仏具屋さんの修理と文化財修理の違い。それから、接着剤ひとつとっても、昔は膠や漆でしたが、今は化学接着剤を 使うようになったという問題がある。
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明珍 | 仏具屋の修理と我々の修理は根本的に全然違う。 |
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高橋 | 例えば私が経験しているのは、普通、仏像の修理ですと何百万とかかる。大金を使って、たとえば文化庁の
ご指示をいただいて修理をしたら、全然きれいになっていないじゃないのと。(笑) |
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明珍 | 直っていないじゃないか。どこをやったんだと。 |
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岩橋 | それと、現状のままにするか、もとの姿に戻すかという考え方がある。もとの姿といっても、どういう形が
いいのか。もちろん、金箔をきちっと張るやり方、金泥を塗りたくるやり方もあるし、それぞれの方針があるので、 一概に言えませんが。 |
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明珍 | 仏具屋さんは小売店で、仏具を売っている店ですが、実際には修理は受けている。下請けの職人を抱えていて、
これはどこに出す、これはどこに出すと。職人さんのほうでは、早く簡単にやったほうがいいから、泥地という か、最近は、もっとひどいのは、コンプレッサーで下地を塗って、すっかりきれいになる。また、お坊さんがそれを
「ああよかった、きれいになった」と言うのもあります。それをだめだと言うのは岡倉天心ですよ。そういう修理が 続いていたんですから。 |
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岩橋 | その当時、天心がはっきり指摘しているにもかかわらず、今でもそういう問題が続いているのは困るなというところが
ありますね。 |
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天心以来の修理設計書をもとに作業
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明珍 | 僕らが修理するシステムは、天心がちゃんとつくっています。たとえば材料は何を使うとか、人数はどれ位
必要かとか、細かく書いた修理設計書をつくって、それに基づいて作業をしています。建築の方でいう積算ですね。 それからうちでは「天心忌」というのを、毎年九月二日にやっています。天心の写真を前にして弟子たちと、いろいろ 話をするだけですけど。 |
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高橋 | お寺さんから仏像修理の依頼があった場合に、先生は、こういう修理の方法が一番ベストですよという提案
はなさるんでしょう。 |
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明珍 | 見に行きますね。まずどのぐらいかかるか、どういうものか見なきゃいかん。それで修理の設計書に、ここは
どうしますというのを詳しく書く。お寺さんが直接というのは、私の所は余りなく、みんなお役所の文化財課を 通じて依頼がある。 |
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高橋 | これはやっかいだった、苦心したという修理は。 |
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明珍 | 困ったことはあります。というのは、修理は一から十まで本当にいろんなことができるから、その判断は
最終的には僕がしなきゃいけない。その前にいろいろな先生方にも相談し意見をきく。 |
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高橋 | たとえば金額の見積もりを間違ったりということはないんですか。(笑) |
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明珍 | これは正直言ってあります。修理というのは、やはり解体してみなければわからない。大体の見当はつきますけれどね。
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編集 | ワシントンのフリア美術館では、日本画の表具が傷んでも修理できないそうです。日本の文化は、それをつくった国の人たちがまた
修理できるような形にしていくことが望ましいですね。 きょうはどうもありがとうございました。 |
みょうちん・しょうじ |
一九二七年奈良県生れ。 |
たかはし・しゅうえい |
一九四二年北海道生れ。 |
共著『大乗仏典』中国・日本篇「栄西・明恵」中央公論社3,986円(5%税込)。 |
いわはし・はるき |
一九四六年東京生れ。 |
共編『日蓮聖人註画讃』角川書店(品切) |