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平成13年8月10日 第405号 P1 |
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目次 | |
P1 P2 P3 | ○座談会 神奈川近代文学館 (1) (2) (3) |
P4 | ○箱根宮ノ下「奈良屋」旅館 岩崎宗純 |
P5 | ○人と作品 早乙女貢と『会津士魂』 藤田昌司 |
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座談会 神奈川近代文学館 (1)
コレクションの粋を語る |
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はじめに | |||||
篠崎 |
また、作家の方々の原稿や、ゆかりの品なども盛んに収集され、開館後十数年を経て、寄贈を受けた資料と合わせた収蔵資料は、膨大な数にのぼるとうかがっております。 そこで本日は、同館におうかがいしまして、収集されたコレクションについてお話しいただきながら、神奈川ゆかりの作家もご紹介いただきたいと思います。 ご出席いただきました中野孝次先生は、ドイツ文学の翻訳・評論をはじめ、小説、エッセイ、さらに日本の古典文学の評論など、多方面にわたり執筆活動をされております。一九九二年に出版された『清貧の思想』はベストセラーとなりました。 現在、同館を運営する神奈川文学振興会の理事長でいらっしゃいます。
三木卓先生は詩人としてご活躍で、児童文学や翻訳の作品も数多く、一九七三年には『鶸』で第六十九回芥川賞を受賞されました。 安西先生、三木先生は同振興会常務理事で、お三方とも神奈川県にお住まいでいらっしゃいます。 同振興会理事の倉和男様にもオブザーバーでご出席いただきましたので、収集のいきさつなどお話しいただきたいと思います。 |
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篠崎 | 中野先生が神奈川文学振興会の理事長に就任されて何年になられるんですか。 |
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中野 | 開館からの理事長だった小田切進さんが九二年に亡くなられて、九三年から僕がやっています。ピンチヒッターのつもりでしたが、もう九年になります。
最初は、尾崎一雄さん、中村光夫さん、井上靖さん、小田切進さん、長洲一二さんが五人委員会をつくり、そこで官立民営にするという基本方針が決まりました。それから地震に大丈夫な建物をという尾崎さんの特別な意向がありました。 最初は小田切さんが館長兼理事長になったわけです。文学振興会の理事長と神奈川県から任命される館長とがあって一体でした。それでずっとやってきて小田切さんの後を僕が引き継ぎ、ここで館長をなくし、理事長だけになったんです。 それで完全に、県から委託された民営になりました。県の神奈川文化賞の選考委員会も毎年ここでやっていて、知事も必ず出席します。 |
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文学者らを介して寄贈が増える
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中野 | それともう一つ、僕がやめる機会を失ったのは、役人は二年毎に替わるから、こっちが替わったらどうしようもない。また、僕が理事長になったころから館に対する世間の認識が上がってきて、どんどん寄贈などが増え、いまや収蔵庫の八六%までいっぱいになっています。
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篠崎 | ほかの文学館と比べて、どんなところがユニークなんでしょうか。 |
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中野 | ユニークなのは、文学振興会は文学を愛する人がやっているということでしょう。ここは評議員でも理事でも、作家や文学者ばかりで、役人は一人もいないのだから全然違いますよ。
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安西 | 寄贈が多いのは、その人たちを介しての力がすごく大きいですね。現役の文学者だけじゃなく、遺族の方々からの信頼があります。そのつながりと、そういう人たちの紹介、仲介でいっぱい来ています。口コミが多い。
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三木 | 職員がみんなスペシャリストです。 |
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中野 | スペシャリストでも普通の文学館よりレベルが高い人たちばかりです。 |
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資料の保存には最高にぜいたくな空調設備
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篠崎 | 資料をいい状態で保存する努力も大変でしょう。 |
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中野 | 普通の所は部屋の中だけでエアコンをするけど、ここは部屋と部屋の間に空気層をつくるんです。だから常温常湿を保っている。それが資料の保存には最高の状態なんです。こんなに贅沢な空間をしている所はほかにはないと思います。
バブルの時期に設計をやったから、そんなことができたけど、今ではとてもできっこない。皆さんそれをご存じだから、ここへここへとなる。 |
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倉 | 九二年の増改築の際の収蔵庫は、六面空調にしたんです。天井と床の間にもすき間をつくっている。浮き部屋みたいです。内壁と外壁の間に空気層を設けて、十時間ぐらいで二十四時間空調と同じ環境を保つような設備です。
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中野 | 建物がいいことと収蔵状態がこんなにいい文学館は日本中にないんです。これが知られていくにつれて、神奈川県にゆかりのある人だけでなく県外からも来るようになった。
最初の予想より非常に速い速度で資料が収集されたと思います。 |
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安西 |
たまたまこれを読んで、なるほど、そういうふうに一般に文学者の間に、別に神奈川にゆかりではなくても、あそこに預ければ安心と思われているんだと。井上さんは九州のご出身ですが。 |
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倉 | 井上光晴さんの資料は夫人の郁子さんから一九九五年に、初期の作品『弾丸村』をはじめ、原稿と草稿など一括して寄贈いただきました。館の戦後文学資料の厚みが増しましたね。
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野間宏の『真空地帯』の原稿など十万点
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中野 | 戦後文学では野間宏さん。野間さんは関西の出身ですが、父親の仕事の関係で横浜市南区の南太田町にも一時住んでいたようです。
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三木 | 若いころ大阪市役所に勤めた体験をもつ人です。小石川の伝通院にある野間さんのお宅へ伺ったことがありますが、階段まで全部本が積んでありました。あれがどっと来たのならすごいことになったなと思ったんです。
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倉 | 九一年に野間さんが亡くなった後、光子夫人から申し出があって、館の施設を視察されて正式に寄贈が決まりました。昭和二十年代に発表された『暗い絵』『真空地帯』などの原稿や草稿、ノート類、蔵書など十万点を越すほどです。
膨大な資料で、一括寄贈されました。 |