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平成14年4月10日 第413号 P1 |
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目次 | |
P1 | ○オペラ「春香」 高木東六、高木緑 |
P2 P3 P4 | ○座談会 わが愛する丹沢 (1) (2) (3) |
P5 | ○人と作品 早瀬詠一郎と『しらべの緒』 藤田昌司 |
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オペラ「春香」 再演に寄せて |
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オペラ『春香』を五十三年ぶりに神奈川県民ホールで上演
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篠崎 | 先生のオペラ『春香(しゅんこう)』 が、五十三年ぶりに神奈川県民ホールで上演されるそうで
おめでとうございます。 |
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高木 | 僕も聞きに行きたいし、楽しみにしてるんです。どんな曲だったか、もうはっきりとは覚えていないので。
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篠崎 | 先生の作品は『水色のワルツ』や『空の神兵』で馴染み深いのですが戦前からピアノ曲、歌曲、歌劇など三千曲も作曲されているんですね。小さい頃から、音楽がお好きだったんでしょうね。
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高木 | ええ。僕は鳥取県の米子の生まれです。明治三十七年(一九〇四)ですから、九十七歳になります。
父はロシア正教会の伝道師でした。任地の関係で茨城の小さな漁村に移って、僕も六歳頃に磯原というところに移りました。その頃は教会のオルガンを弾いて遊んでいました。 |
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緑 | 大正九年に東六の父、私の祖父にあたります久吉が横浜の平沼の教会に移って、父がピアノに最初に出会ったのは神奈川県立二中(第二横浜中学校、現・翠嵐高校)に
通っていた頃のようです。 |
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高木 | 関東大震災の前の年に、僕のために母がピアノを買ってくれたんです。山手の外国人が引っ越すというので姉が買いに行ってくれた。けれども、そのピアノは地震で二階から落ちて、壊れてしまったんです。
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緑 | その教会の焼け跡から掘り出した真っ黒焦げの聖像が今もあるんです。 |
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昭和二十三年に東京の有楽座で公演
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篠崎 | いつ頃から『春香』の物語を歌劇にしようとお考えになったんですか。 |
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高木 |
昭和十四、五年に書き始めて、大戦が始まる前までに第三幕まで書き上げてあったんですが、住んでいた東京の上大崎の家が昭和二十年五月の空襲で焼け、『春香』の第一作目の楽譜も本も全部灰になってしまったんです。 それで、乃木坂の山田耕筰さんの家に四、五日ご厄介になったんですが、知り合いの紹介で、長野の伊那に疎開したんです。ですから、終戦は伊那で迎えたんです。 伊那で、しばらく子どもたちにピアノを教えていたんですが、二十一年の始めに、在日本朝鮮人連盟の方から、もう一度『春香』を作曲してくれないかという依頼があったんです。 「作曲が完成するまで、月々の生活の保障はするから」ということで、戦後の間もない時期で、生活費にも事欠くありさまでしたから、この依頼がたいへん嬉しかったことを覚えています。 ですから、僕には二つのオペラ『春香』があるんです。第一作目の焼いてしまったものと、終戦後の昭和二十三年に東京の有楽座で公演したものの二つです。 |
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篠崎 | 公演ときのプログラムには、山田耕筰さんが文章を寄せていらっしゃる。 |
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高木 | 山田さんは僕の先生です。昭和六年に僕がパリで勉強していたとき、訪ねていらして、急速に親しくなったんです。僕の「テラス」という曲を見せたら、「君、作曲をやったら、いい」といわれたんです。それで、僕は作曲家になったんです。
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篠崎 | 伊那にはどのくらいいらしたんですか。 |
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高木 | 足掛け七年です。伊那というところは周りを美しい山々に囲まれ、町の真ん中を天竜川が流れている美しい町でした。三角屋根の僕の家がぽつんと建っていた。それで、天竜川の土手を散歩していると、ふっと、頭の中にメロディーが浮かんでくるんです。僕の場合、ピアノの前にすわって、さあ、作るぞ、と構えてもダメなんです。
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篠崎 | 『水色のワルツ』は昭和二十五年に大流行して、藤浦洸さんの作詞、二葉あき子さんの歌で、本当に一世を風靡しましたね。この曲も伊那でつくられたのですか。
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高木 | そうです。でも、あんなにポピュラーになるとは思わなかった。『空の神兵』のほうが僕は傑作だと思う。
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『春香』は朝鮮に伝わる古典文学の傑作
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篠崎 | ところで、先生は戦前に何度か朝鮮半島にいらしているそうですね。 |
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高木 | 僕は朝鮮半島、今の韓国や北朝鮮に十回近く旅行しましたね。朝鮮のメロディー、二拍子とか三拍子とか好きで、日本の音楽よりもつくりやすい。その旋律を譜に写し取ってきたんです。聞いたものをその場ですぐ譜面に書くので、あちらの方も驚いていました。僕は『春香』のほかに、『鶴』という春夏秋冬の四部からできているシンフォニックなものとか、満州の新京交響楽団の管弦楽募集に応募した『朝鮮舞踊組曲』なども作曲しているんです。
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日韓文化交流の一つとしてワールドカップにあわせて上演
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篠崎 | なぜ、このオペラが半世紀以上も上演されなかったのですか。 |
緑 | 東京と大阪で上演されたんですが、その後、会場が借りられなくなった。当時の政府がこの公演を支援する在日の人々に解散命令を出したんです。理由は、アメリカの占領軍に反対的ということだったんでしょうね。
そしてまもなく朝鮮戦争が勃発し、朝鮮半島は南と北に分裂し、オペラどころではなくなってしまったんです。 |
篠崎 | その「幻」のオペラが再演されることになったきっかけは何でしょうか。 |
高木 | 今から五年ほど前ですが、韓国でオペラの歴史を研究している孔恩雅さんが僕を訪ねてきた。南カリフォルニア大学で音楽博士号を取った方で、大学で『春香』のオペラの存在を知ったらしい。
それで、オペラのオリジナルのスコアを見たいと。 |
篠崎 | スコアは先生のお手許で保管されてたのですか。 |
高木 | そうなんです。 |
篠崎 | オーケストラ用の譜四冊、二百二十ページにおよぶピアノ譜だそうですが、それが出てきたとき、皆さん、驚かれたでしょうね。しかも当時、全部英訳を付けて出されたのですね。
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緑 | ええ。それを見た孔さんもびっくりされたんですが、たまたま、同席していらした方々も「もう一度、上演できたらいいですね」とおっしゃられて、まったくのボランティアで再演の活動を始めてくださいました。
それで、日韓の文化交流の一つとして、サッカーのワールドカップの開催にあわせて上演していただけることになったんです。 |
高木 | ただ、韓国では『春香伝』の物語は、主人公の夢龍と春香がめでたく結ばれるストーリーなんです。けれども、グランドオペラは伝統的に悲劇的な結末で終わることが多いので、僕は村山さんに頼んで、「春香」も悲劇の形にしてもらった。でも、今回は原典にそくしたものになるのではないでしょうか。
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篠崎 | 主役には春香を腰越満美さんという日本のソプラノ歌手、夢龍は韓国のテノール歌手の崔相虎さんで、公演は四月十九日、二十一日の二回、神奈川県民ホールで行われます。是非、一人でも多くの方にご覧になっていただきたいですね。
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高木 | ともかく、作曲家の僕が知らないうちに、ボランティアの皆さんの力で上演にこぎつけていただいた。ほんとうに嬉しいですね。きっといいものになると思います。
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篠崎 | 楽しみですね。ありがとうございました。 |
たかぎ とうろく |
一九〇四年鳥取県生れ。 |
『愛の夜想曲』講談社(品切)、ほか。 |