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平成14年12月10日 第421号 P1 |
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目次 | |
P1 P2 P3 | ○座談会 「文学」と「時代のニュース」が両輪 (1) (2) (3) |
P4 | ○東巴(トンパ)文字 浅場克己 |
P5 | ○人と作品 神坂次郎と『猫男爵』 藤田昌司 |
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座談会 文藝春秋80年
「文学」と「時代のニュース」が両輪 (1) |
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はじめに |
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篠崎 |
『文藝春秋』は、大正・昭和・平成にわたって、雑誌ジャーナリズムの王道を歩み、また菊池寛が制定した芥川賞と直木賞は、わが国の文学の振興に大いに寄与するところがあります。そして、現在の文藝春秋という会社はこうした遺産を受け継ぎながら、常に出版界をリードしてこられました。 本日は、創業以来80年に及ぶ文藝春秋の幅広い歩みをご紹介いただきたいと思っております。 ご出席いただきました城山三郎先生は、昭和32年に「輸出」を文藝春秋発行の『文學界』に発表されて文學界新人賞を、また、『別册文藝春秋』に発表された「総会屋錦城」で第40回直木賞を受賞されました。現在は菊池寛賞の選考委員をされています。
白石勝様は文藝春秋の代表取締役社長でいらっしゃいます。編集の第一線で活躍され、『文藝春秋』の編集長をされていた平成2年12月の特集「昭和天皇の独白8時間」は実売数が百万部以上という記録をつくられました。 |
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篠崎 | 創業80周年を迎えられますが、菊池寛先生が雑誌を創刊されるまでの経緯と会社設立の関係はどうなっているんでしょうか。
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半藤 |
菊池さんは、当時もう大文豪で、たくさんのベストセラーを出しているし、本当は作家でいいんですが、1つは、菊池さんのもとに若い作家らが慕って随分集まっていたというのがあります。 もう1つは、プロレタリア文学が全盛のとき、それに対して菊池さんはあまりいい思いをしていなかった。それで、若い人たちの発言の場、物を書いたりする場がないというのが、菊池さんの心を突き動かしたのではないか。『文藝春秋』創刊の辞が有名で、「私は頼まれて物を云ふことに飽いた。自分で、考へてゐることを云つてみたい」と書いています。その後に、「一には、自分のため、一には他のため」とあって、若い人たちにもそういう場をうんと与えたいとあります。若い横光利一さん、川端康成さんとかがそばにいましたので、彼らのためにという意味もかなりあったのではないかと思います。 ですから、菊池さんは本当は小説家としてやっていけば何でもできる方なんですが、編集に乗り出したんです。ところが、経営の才能は全然ないんじゃないかと思います。 そこで、佐佐木茂索という非常に几帳面なところがある新進気鋭の作家に目をつけ、作家をやめさせて引っ張り込んだ。彼はものすごく優秀な経営者です。それで文藝春秋はきちんとした会社になってきて、長持ちしたということは言えるかと思います。 ただ、あくまでも菊池さんの編集に対する、雑誌に対するセンスというか、今までの雑誌と違う雑誌をつくってみせるというセンスは、ものすごく生きたと思います。 |
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“真珠夫人”で時ならぬ菊池寛ブーム |
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篠崎 |
菊池寛さんは小説家としても大成されていましたが、最近はドラマでも……。
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白石 |
じゃ『真珠夫人』に続けというわけで、私どもには菊池寛の孫もいますので子会社の文春ネスコが『第二の接吻』、文藝春秋の文庫からは『貞操問答』を出し、それぞれ好調です。 社内の女性が、まず読み出したのですが、現代的で、読み出したらとまらないと。今、時ならぬ菊池寛ブームです。 若い社員は『恩讐の彼方に』や『父帰る』は教科書で読んでいますが、当時の現代物をこれだけ面白く書いているのは初めての発見なんです。幹部社員も初めて読むのが多かったんじゃないですか。 この一種のブームはテレビのほうからフィーバーみたいなものが伝わってきて、当方もその波に乗った。不思議なえにしを感じます。ちょうど80周年に突然、菊池寛大先生がよみがえってきた。 |
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設定がうまく話題になるようにつくっている |
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白石 |
みんなが、お茶を飲んでいても、食事をしていても「菊池寛さんは」という話になる。なぜあんなに面白いんだと。要するにベッドシーンがないことが一つ。当時はベッドシーンまでいかないんです。そうすると、一生懸命筋を考えなくちゃいけない。
この筋が劇的なんですね。社員一同感服している。
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城山 |
社外でも感服していますよ(笑)。あれは設定が非常にうまい。前半は、いやな男の所へ家庭の犠牲になって嫁いだけれど絶対に貞操は守る。どうやって守るか。その設定がすごくうまい。それで最後まで引っ張っていく。
後半は芥川を思わせる人物が出てきて、仲間になって新しい話になったり、当時の文芸作品を批判したり、当時のカレントトピックスがどんどん入ってくる。言葉なんかも英語が入ってくる。そうすると、読んでいないと話題についていけなくなる。実にうまい。感心した。 |
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半藤 | 大正9年発行ですがあのころの人は小説は皆うまいですね。 |
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城山 |
うまいし、話題になるようにつくっているね。
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『文藝春秋』のタイトルは菊池寛のエッセイ集から |
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篠崎 |
菊池寛さんが作家から編集者になって、『文藝春秋』という雑誌が始まる。最初から会社組織でおやりになったんですか。
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半藤 |
一応文藝春秋社と名乗りましたから、会社組織でやったんだと思います。とは言っても、社長は決まっていますけれども、専務とか、常務とか、取締役とかいう組織があったのかどうか、いくら調べても出てきません。何もなかったんじゃないでしょうか。経理も大福帳で。(笑)。
つまり同人誌なんですね。ちょっとたってから株式会社にしています。 『文藝春秋』というタイトルは菊池寛のエッセイ集のタイトルで、それをポンと使っただけなんです。菊池さんはそういうところが大ざっぱなんです。薄っぺらな雑誌ですけれども、5、6号まではプロレタリア文学に徹底的にけんかを売っている。 それで一遍に名を売ったと言うとおかしいですけれど、「『文藝春秋』あり」というところを見せたようですね。菊池さんも多分そのねらいがあったんでしょうね。当時、雑誌では、すでに『改造』や『中央公論』ができてましたから。 |