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平成16年11月10日 第444号 P2 |
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○インタビュー | P1 | 瀬戸内寂聴さんに聴く 源氏物語、そして幻の一帖 「藤壺」 (1) (2) (3) 聞き手・ 松信裕
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○特集 | P4 | 百歳になる片岡球子先生 山梨俊夫 | |
○人と作品 | P5 | 出口裕弘と「太宰治 変身譚」 | |
○有鄰らいぶらりい | P5 | 馬見塚達雄著 「『夕刊フジ』の挑戦」/秋葉道博著 「サムライたちの遺した言葉」/渡辺淳一著 「幻覚」/安岡章太郎著 「雁行集」 | |
○類書紹介 | P6 | 「火山噴火」・・・三宅島、浅間山、次は? 日本列島には86の活火山が並んでいる。 |
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◇清少納言のエッセーに対抗してスカウトされたノベルスの紫式部 |
松信 |
『源氏物語』は、どのような状況で書かれたのでしょうか。 |
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瀬戸内 |
紫式部は『源氏物語』を、後宮の女房になる前から、すでに幾らか書いていたんだと思います。 それをみんなが読んで、写したり、音読したりしてたくさんの人が聞いて、そういう形で口コミで、紫式部が何かおもしろい小説を書き始めたよという噂が広がっていた。 それを時の最高権力者である藤原道長が聞いたんですね。 道長は自分の娘の彰子[しょうし]を後宮に入れました。 一条天皇の時代です。 でも、まだ12歳くらいで、女としての魅力がない。 一方には道長のお兄さんの藤原道隆の娘である定子[ていし]が入っています。 この人は、非常に美しくて、教養があって、一条天皇はとても愛していた。 そこに女房として清少納言がいたわけです。 清少納言は随筆がうまくて気がきいて、ウィットに富んでいるので、中宮定子のところへは、天皇について上達部[かんだちべ]たちがいっぱい遊びに来るのね。
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松信 |
サロンみたいな感じですね。 |
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瀬戸内 |
それが道長としては悔しくてしようがない。 それで物語を書く紫式部に目をつけた。 向こうがエッセーなら、こちらはノベルスでいこうというわけね。 (笑) それで、ちょうど、子持ちの未亡人になっていた紫式部を彰子の女房にスカウトしたんです。 そして、今書いているおもしろい小説の続きを書かせて、それを餌にして、一条天皇を自分の娘の部屋にお呼び寄せしたということじゃないかと思うんです。 紫式部は、「私はそういう華やかなところに行くのはいやだ。」と日記には書いておりますけれども、いやなら断ればいいのに、行っているんですよ。
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道長がパトロンになり一条天皇も絶賛 |
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松信 |
道長がスポンサーになるわけですね。 大きなスポンサーですよね。 |
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瀬戸内 |
部屋も与える。 参考書も、紙も、硯も筆も買ってやるというふうにして、大変なパトロンになったでしょう。 それでできたのが『源氏物語』だと思う。 道長は「今度雇った女房は大変小説が上手ですから、どうぞ一度、彰子のお部屋にもおいでください。」と天皇に頼んだでしょう。 天皇は、義理もあるから行ってみた。 そこで、『源氏物語』を、声の美しい、朗読の上手な女房が読んだでしょうね。 文学趣味だった一条天皇は非常に感心なすって、「この作者はすばらしい。 この作者は昔の歴史から、中国の歴史から全部、勉強している。」と絶賛するんです。 それで、「これはおもしろい、この後はどうなる。」なんていわれるので、「じゃ、またいらしてください。」と。 そういうことで、一条天皇は彰子の部屋へ『源氏物語』につられて通っていらっしゃるようになる。
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中宮や女官たち読者の声を取り入れながら執筆 |
松信 |
読まれるのと同時に次々に物語ができていったんですね。 |
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瀬戸内 |
どんどん書いていって、読まれていくうちに、天皇や中宮や女官たちの「この人とこの人はかわいそうだから、結婚させて。」とか「この人は憎らしいからどうかして。」とか、そんな読者の声が聞こえてくる。 それを取り入れながら書いたんじゃないかと、私は思うんです。 現代で言えば、新聞小説とか、週刊誌の連載小説とか、そういう形だと思ってください。 私は、『源氏物語』はそういうふうにしてできたと思います。 その長い『源氏物語』が仕上がるまでに、まるで子供みたいだった中宮彰子が、『源氏物語』の中の女たちの恋愛によって性教育をされます。 それで非常に心も、体も成長する。
そういう彰子に一条天皇が興味と愛を感じ、彰子が皇子を産みます。 道長の野心はここで完結します。 |
◇別人の作とも言われる「宇治十帖」は出家後の紫式部が執筆か |
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松信 |
そうして『源氏物語』は完結したんですね。 |
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瀬戸内 |
私は『源氏物語』は、帝が死ぬまでを書いて一応完結したと思うんですよ。 ですけれど、その後は紫式部が出家してから書いたと思います。 |
松信 |
紫式部は出家しているんですか。 |
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瀬戸内 |
『枕草子』を書いた清少納言は、出家しています。 ライバルだった和泉式部も出家している。 二人の出家は文献にあります。 紫式部は出家したというのはどこにも書いてない。 だから、わからないけれど、あの当時、あの立場の人が出家しないはずはないと考えられます。 彰子が、道長の希望どおりに皇子を産んだことは、道長としては、やっと自分の望みがかなったと喜んだことでしょう。 そのとき、恐らく道長は、それまでは必要だった紫式部を必要としなくなったんじゃないでしょうか。 これは私の小説家的想像ですけど、そのとき、紫式部ほどの敏感な人がそれを感じないわけはありません。 「道長に自分は利用された。 もう用はないんだな。」と感じたと思いますね。 それでは彼女のプライドが許さない。 自らリタイアしたと思います。 女房をやめてどうしたか。 私は出家したと思うんです。 出家して、嵯峨野か宇治のあたり、都の外に庵を構えて、静かに尼さんとしての生活を始めた。 しかし、彼女は根が小説家ですから、書くのがやめられない。 やっぱり続きを書きたいと思うけれども、もう源氏は物語の中で死んでいる。 まさか源氏を生き返らせるわけにいかない。 そこで考えて、源氏の子供や孫の代を舞台にして書いたのが「宇治十帖」なんですね。 源氏が死ぬまでの本文と言われるものと、「宇治十帖」とは筆が違うというのが学者の間で問題になって、別人だと言われたんですよ。 ですけど、何か科学的に文章を調べたら、やっぱり同一人物だということです。
私もそうだと思いますね。 たしかに、「宇治十帖」に入るところの初めの三帖ぐらいが何かもたもたしているんですよ。 それはしばらく書かなかったから。
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松信 |
ブランクがあったからということなんですね。 |
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浮舟の出家の次第は私が出家したときと同じ |
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瀬戸内 |
なぜ紫式部は出家したと私が断言できるかと言いますと、「宇治十帖」には浮舟[うきふね]という若いお姫様が出てきます。 この人が、心ならずも二人の男に身を任せてしまう。 そのことに悩んで宇治川に身を投げるけれども、死に切れなくて、横川[よかわ]の僧都[そうず]というお坊さんに助けられて、その人にすがって出家するんです。 その剃髪の場面が、それまでの『源氏物語』の女君たちの出家の場面とまったく違って、事細かく式次第が書いてある。 それまでにない描きかたなんです。 そこを読んだときに「あ、紫式部も出家して、この式次第を受けたんだな。」と思ったのです。 『源氏物語』の中の仏教というのは、比叡山の天台宗なんですが、私も天台宗で出家いたしました。
私と、浮舟の出家の式次第は全く同じなんですね。 同じ順序で同じ言葉を言って、同じお経、同じ動作なんですよ。 ですから、私には非常によくわかったんです。
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◇魅力最高の光源氏が次々に巻き起こすラブ・アフェア |
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松信 |
『源氏物語』はその後、『更級日記』の菅原孝標女[すがわらたかすえのむすめ]とか、江戸時代の本居宣長とか、広く長く読まれています。 その魅力はどんなところにあるんでしょうか。
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瀬戸内 |
やっぱりおもしろいからでしょうね。 『源氏物語』は、ご承知のように"光源氏"という大変なハンサムで、すべての才能を兼ね備えたスーパーマンみたいな人が主人公ですが、その光源氏が非常に色好みで、次から次に女を誘惑していって事件が起こる。 ラブ・アフェア、それを書いた小説ですね。 光源氏が誰にでも調子のいいことを言うのはいやだなんていっても、みんなおもしろがって一応読むんですよ。 今「冬のソナタ」がすごいブームになっているでしょう。
あれはやっぱり中年のおばちゃんたちが、男性からやさしい言葉を聞きたいからですね。 源氏は面と向かったら、必ず女がうれしがるようなことしか言わないんですよ。
こっち向いて、「あなたを愛しています。」、反対を向いてまた、「あなただけを— 」なんて。 (笑) |
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松信 |
誠心誠意。 それが光源氏の絶えない魅力なのでしょうね。 |
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瀬戸内 |
そのときは一生懸命なの。 そんなのきらいと言いながら、女はやっぱりそう言ってほしいのね。 結局、男女の愛というものは千年前も今もそんなに変わってない。 若い子は変わったとか、結婚の感じも変わったとか言うけれど、妻と愛人の葛藤とか、同じじゃないですか。 ただ、それが後のほうになってくると、恋愛だけじゃなくて、もっと暗い、人間性の陰の部分までも書き込まれていきます。 『源氏物語』は、何百人という登場人物が出てきます。 しかし、どの登場人物、どんな端役でも、みんな性格を備えているんです。 それぞれの心があるんです。
それを紫式部は書き分けております。 それも魅力でしょうね。 |
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松信 |
『源氏物語』の現代語訳(全10巻)を出そうと思われたきっかけはどういうことだったのですか。 |
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瀬戸内 |
とにかく私は、一人でも多く日本の国民に読んでもらいたいという熱意で訳をいたしました。 ご承知のように、『源氏物語』は、与謝野晶子さん、谷崎潤一郎さん、円地文子さんという、大文豪の方たちが現代語訳をすでになさっていらっしゃいます。 谷崎さんの現代語訳は、非常に原文に忠実で、文章のセンテンスまでも現代語訳に写そうとなさいました。 『源氏物語』は、非常にセンテンスが長いんです。 それを現代語で同じ長さにお訳しになるのは、大変な苦労をなすったんですけれども、そのために読んでいても途中で眠くなるんですね。 ということで、あんまり今の人に読まれない。 円地さんの現代語訳は、お三人の中で私は一番傑作だと思うんです。 非常に名文で、美しい文章でお訳しになりました。 しかし、その名文でさえ、もう今の人には難しくなっているんです。 それで私は、もっとわかりやすい、中学生から、できれば、頭のいい子なら小学校の上級から読めるくらいの、そういう『源氏物語』の現代語訳にしたいと思いました。 私の訳は原文に忠実ですけれども、文章のセンテンスまでは忠実ではありません。 長い文章は、切って短くしました。 でも、内容には全然手を入れておりません。
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◇五十四帖のほかに「藤壺」の帖があったはず |
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松信 |
そして今回「藤壺」を書かれたわけですね。 |
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瀬戸内 |
『源氏物語』は、光源氏の誕生を描いた「桐壺[きりつぼ]」の帖のあと、「帚木[ははきぎ]」の帖が源氏が17歳のときに、ラブハンターとして一人前になったというところから始まっているんですが、その中に、藤壺との関係について、「去年そういうことがあった。」というのがあるんです。 でも、去年あったことは書かれずに、2度目の藤壺との密会から事が始まる。 だけど一番最初があったはずだと、私だけではなくて、いろいろな人が昔から思っていたんです。
そこのところを、もしあればどうかなというので、私はそこを書いてみたかったんです。
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松信 |
それが「藤壺」の幻の一帖の執筆の最初の動機ということですね。 |
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瀬戸内 |
はい。 古注に「かがやく日の宮」という一帖があった。 しかし、それが今はないとあるんです。 でも「かがやく日の宮」というのは、ほかの題に比べて長いでしょう。
ほかのはみんな「桐壺」とか、「帚木」とか。 |
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松信 |
短いですね。 |
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瀬戸内 |
そういう2、3字の題が多いのに、「かがやく日の宮」というのは違和感があります。 もしそれがあったとすれば、「藤壺」くらいかなと。 |
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松信 |
現代語訳をされているころから、書きたいとお考えだったんですか。 |
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瀬戸内 |
そう、ずっと前から書いてみたいなと思っていましたけど、先に原文みたいな古文で書きかけたら、難しいからなかなか進まない。 そしたら丸谷才一さんが『輝く日の宮』という素晴らしい本をお出しになったでしょう。
やっぱり同じようなことを書いていらした。 それで私も急がなければと思って。 |
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亡き母の面影にそっくりな藤壺を追い求める源氏 |
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松信 |
「藤壺」の帖は全体の中ではどういう意味あいがあるんでしょうか。 |
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瀬戸内 |
『源氏物語』では源氏が次から次に女をかえていきますね。 それは、3歳のときに死んだお母さんの面影を追い求めるという源氏の母恋の心情があって、母の面影を求めて、どんどん女がふえていく。
その原点といっていいエピソードですね。 |
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松信 |
源氏にとって藤壺は特別の女性だった。 |
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瀬戸内 |
物心がついたときに、周りの人みんなに「藤壺は、あなたのお母さんとそっくりですよ。」と言われるし、ほかのお妃たちはみんな年を取っているのに、なぜこの人はこんなに若くて美しいんだろうと思う。 それが自分のお母さんとそっくりだったら、やっぱり慕いますね。 源氏と藤壺は5つしか年が違わないんです。 藤壺は15で入内していますから、そのとき源氏は10歳で、もうちゃんとした少年です。 だから、母恋の気持ちが初恋に移るということはあっても普通じゃないかと思うんです。
当時はませていましたから。
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松信 |
その思いを遂げるのを王命婦[おうみょうぶ]が手助けする。 |
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瀬戸内 |
藤壺の女房です。 寝所には女房の手を借りないと絶対忍んでいけなかったんですよ。 ほんとうは女房が主人を守るべきなのに守らないから、あんな不倫が起こるんです。
柏木と女三の宮[おんなさんのみや]の場合もそうでしょう。 女房がわざといなくなるから、入って行かれる。 |
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松信 |
藤壺という女性はどういうところが魅力だと思われますか。 |
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瀬戸内 |
私はあまり好きじゃないんです。 母になると自分の子供を皇位につけるために一生懸命になるでしょう。 それで、結局うそを突き通す。 相当強い女ですよね。
けれども『源氏物語』の中では結局、源氏の永遠の女性というのが藤壺ですから、なくてはならない。 どの女と仲よくなっても、藤壺がいいと最後まで言わせていますからね。
六条御息所[ろくじょうみやすどころ]も紫の上も、どこかに藤壺を得られないかわりというようなところがある。 |
存在したはずの一帖を外したのは誰か |
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松信 |
当時、「かがやく日の宮」、あるいは「藤壺」という一帖が実際にあったとお考えですか。 紫式部が現実にそれを書いていたと。 |
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瀬戸内 |
私は、紫式部は書いただろうと思いますよ。 じゃあ、なぜそれを外したかが問題で、丸谷さんもそこを随分と考えられて、道長が外したとおっしゃるんですよ。 何で外すんですか。
一番そこがおもしろいと思うんですけどね。 |
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松信 |
編集者的な判断ということなんでしょうか。 多分一番肝心な場面なんですけれど、かえってないほうがいいんじゃないかという。 |
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瀬戸内 |
私は天皇じゃないかと思うんです。 そういうことをできるのは天皇しかいないんじゃないですか。 物語とはいえ不謹慎な行為が余りと言えば余りだから、ないほうがいいと言われたんじゃないか。
道長が省くとしても、そういう遠慮からでしょうね。 |
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松信 |
天皇家の密事が書かれて、世の中に出るのはちょっとまずいという判断も。 |
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瀬戸内 |
みんな認めているけれど、生々しく書いちゃいけないというところでしょうね。 ほんとは書かなかったかもしれないけど、今の小説家としては、そこを書いてみたいんじゃないでしょうか。 |
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松信 |
読者も、そこを読んでみたいと思いますよね。 |
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瀬戸内 |
でも、書いてしまったら、やっぱりなくてもいいのかなとも思うんですね。 |
松信 |
もし瀬戸内さんが紫式部で、あの場面を書いたとして、その後に、やっぱりなくてもいいかなと思って外したかもしれない。 |
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瀬戸内 |
かもしれない。 わからないですね。 |
つづく |