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第9回 2006年9月7日 |
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いよいよ9月。 読書の秋到来。 | |||||||||
今年の秋はとにかく読むぞ〜! と読む気まんまんの方のために、読み物としても面白くブックガイドとしても活用できるすぐれものの3点を、今回はご紹介しようと思う。 |
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まず、佐藤正午『小説の読み書き』。 日本近代文学(明治〜戦前)の名著にどっぷり浸かりたい方は、まずこの本を。 この本で主にとりあげられているのは夏目漱石や森鴎外、芥川龍之介といった文豪の作品。 有名過ぎる作品群を、著者があくまでも小説家の視点から読み解いていて、一章読むごとに目から鱗が落ちる感覚を味わえる。 いくつか例を挙げると、
どうだろう、上の文章を読むと、『雁』や『たけくらべ』や『鼻』を読みたくなってこないだろうか。 読みたくなるんじゃないかなあ。 読みたくなってほしいなあ。 本書の中で最も印象的だったのは、小説は読まれるたびに書き直されていく、という言葉だ。 確かに、この本を読むと、小説の読み方にたった一つの正解はないと気づかせてもらえる。 |
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次に、三浦しをん『三四郎はそれから門を出た』。 先ごろ『まほろ駅前多田便利軒』で直木賞を受賞した著者による初のブックガイド&カルチャーエッセイ。 本書に収められた爆笑必至のエッセイも読んでいただきたいが、何と言っても活字中毒を自認する著者のブックレビューは、直球よりも変化球の書評がお好みの方に特におすすめしたい。 とりわけ面白いのは、朝日新聞書評欄の連載をまとめた第二章「三四郎はそれから門を出た」で毎回紹介される2冊の本の取り合わせの妙。 たとえば、「心の奥深いところで息をひそめるエロス」と題してアナイス・ニンの『小鳥たち』と一緒に紹介されるのが『新宿二丁目のほがらかな人々』であったり、「報われぬ献身の美しさ」と題して紹介されるのが最相葉月『東京大学応援部物語』とマルキ・ド・サドの『ジェローム神父』の2冊であったりする。 この「本の泉」ももう少し奇抜な選書のほうがよいのだろうか、と反省してしまうほどだ。 |
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最後に、山村修『<狐>が選んだ入門書』。 22年半もの間、「狐」のペンネームで「日刊ゲンダイ」に書評を掲載していた覆面書評家が、実名を公表して世に出した1冊。 著者は、「入門書」は「手引書」とはあくまでも違うものであるとして、日本語・日本文芸・歴史・思想・美術の各分野から独自の目で「入門書」を選び、なぜその書物が「入門書」として相応しいのか説いている。 浅学の身には、本の読み方を本書から大いに教わった。 1つの読書論として読んでもいいかもしれない。 この著者の本はこれからももっともっと読み続けていきたいと思っていたのだが、大変残念なことに、山村修氏は今年の8月14日にお亡くなりになった。 今、思い返すと、前書きに書かれた次の箇所は遺言のようなものだったのかもしれない。 「私も三十年間、勤め人生活をおくっていますが、生活者には、本などとまったくかかわりのないところで、さまざまな困難に打ちあたることがあります。 (略)生きているかぎり、当然のことです。 しかし、本がある。 どんなときにも読書というものがある。 本好きはそれを救いとすることができます。 むずかしい局面に立たされたとき、なにもその局面に直接的に関係する本をさがして読むことはありません。 なんでもいい、いま自分がいちばん読みたい本を読むのがいいのです」 山村氏のご冥福を心よりお祈り申し上げます。 |
※価格はすべて5%税込です。 |
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文・読書推進委員 加藤泉 構成・宣伝課 矢島真理子 |
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