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第11回 2006年10月5日 |
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イラン文学に魅せられて 〜 Wind is blowing from the Persian 〜 |
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最近、続々とイラン系作家の著作が邦訳されている。 しかも、その全てが女性作家のものであることは注目すべき点だろう。 イランでは、女性は親に決められたとおりの結婚をし、処女性のみが重要視されると言われている。 一体、イランの女性たちはチャドル(※女性が着用することを義務付けられている黒い一枚布のこと)の下で何を思い、何を夢見ているのだろうか? 今回は、過酷な状況の中、しなやかに自分の生きる道を切り開いていこうとするイラン人女性を描いた3冊をご紹介しようと思う。 |
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アーザル・ナフィーシー『テヘランでロリータを読む』は2003年にアメリカで出版され、大ベストセラーになった自伝的小説。 小説への愛に理由はいらない、と再確認させてくれる1冊だ。 主人公は、テヘランの大学で英米文学を教えている大学教授。 英米小説排斥の風潮が高まる中、ナボコフの『ロリータ※』や、フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー※』、オースティンの『高慢と偏見※』といった作品を、彼女は授業や読書会でとりあげる。 本書の面白い点は、英米から地理的にも文化的にも遠く離れたイランで、女性達がこれらの作品をどのように読み解いたか、にある。 たとえば、『ロリータ』について。 「彼女は二重の被害者なのだ。 人生を奪われただけでなく、自分の人生について語る権利をも奪われている。 私たちがこのクラスにいるのは、この第二の犯罪の犠牲者にならないためだ」 といった具合に。 本書の表紙を見てみると、チャドルを被った若い女性2人がこっそり何かを読んでいるモノクロの写真になっている。 この、色の無い世界こそが、イラン人女性を取り巻く環境を象徴している。 主人公と彼女のもとに集った女学生たちは、小説の中にのみ<色>を見出すことができたのだ。 イランにおいて、女性達が自我を求めることがいかに難しいか思い知らされ、重々しい気持ちになる場面も本書には多々あるのだが、正直に告白すると、おかしさのあまり吹き出してしまった時が数回あった。 たとえば、主人公の友人の大学教授が、スカーフ着用を拒否して守衛に追いかけられ、猛ダッシュで逃げ回る場面。 イスラームの慣習に黙って従うのではなく、何が正しいかを自分で見極め、行動に移そうとする女性たちの姿は、時に痛快だ。 この痛快さは、マルジャン・サトラピ『刺繍‐イラン女性が語る恋愛と結婚‐』(明石書店)にも通じるので、気になる方はこちらもご一読を。 本書を読んでいると、好きな本を読むことのできる日本に生まれて本当によかった、とつくづく思う。 だが、1冊の本の持つ重みを身を持って知っている、という点では、彼女達のほうが恵まれているのではないだろうか。 大量に入荷する新刊を目の当たりにし、それと同じ量の本を返品している日々を送っていると、そんなふうにも思えてくる(これはダメ書店員の世迷言とお聞き流しください)。 ちなみに、書店が閉鎖され始めると同時に、主人公が貪欲に本を集めだす場面がある。 このあたりを読んでいて、『図書館戦争』(有川浩 著)を思い出した。 本がなければ生きていけない、という方は是非こちらもお読みください。 |
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次に、ヤスミン・クラウザー『サフラン・キッチン』。 イギリスに暮らすイラン人女性マリアムは、娘が流産した直後、夫と娘を残してイランへと旅立つ。 40年前、彼女は親の命ずる結婚を拒否し、使用人のアリと恋に落ちた。 彼女の父親は位の高い軍人で、娘の行いが許せず罰を与えた。 家を追い出された彼女はイギリスに渡り、そこで現在の夫と結婚するが、アリのことがずっと忘れられなかったのだ。 典型的なメロドラマと言ってしまえばそれまでなのだが、ここでもテーマになるのはイラン人女性の生きづらさだ。 特に、マリアムの父親が彼女に与えた「罰」の真相を読んでしまったら、驚愕しない人はいないだろう。 —「わたしたちイランはね、あなたもわたしも、強くはないの。 この世界で、ひとりではいられないのよ。 いずれかの同盟国を選ばなければならない。 いずれかの夫をね、生き延びるためには」 こういったセリフを読んでいると、暗澹とした気分になってくるが、たとえ結ばれることはなくても、マリアムとアリの間にある強い絆の存在に、救われたような気分になる。 重い内容ではあるが、イギリスで暮らすマリアムの娘が母の人生を受け容れようとするラストは、新しい時代の希望を感じさせる。 |
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最後に、マーシャ・メヘラーン『柘榴のスープ』。 動乱のテヘランからロンドンに逃れ、アイルランドの小さな町で、自分たちの店「バビロン・カフェ」を開こうとする三姉妹。 聡明な長女マルジャーン、神経質でやや屈折した次女バハール、楽観的な三女レイラー。 マルジャーンの作る料理は、一度食べたら誰もが病みつきになるほど魅惑的なのだが、三姉妹を追い出そうと企む町の有力者のせいで、開店当初、店に人が寄り付かない。 この「バビロン・カフェ」が、口こみで次第に繁盛していく経過がとても楽しげに描かれていくが、それと同時進行で、三姉妹がテヘランを出ることになった忌まわしい出来事も徐々に明かされていく。 ここでもまた、イラン人の三姉妹が本国で受けた不条理な仕打ちに胸が痛くなる。 本書には、異国で生きるイスラーム教徒のつらさも描かれている。 腹に爆弾をくくりつけてるんじゃないかと陰口を叩かれる、といったように。 だが、あくまでも筆致は軽快で、マルジャーンの信条である「シンプルに、やさしく」が本書全体を覆っている。 三姉妹に嫌がらせの限りを尽くしてきた輩が豹変するラストは、多少ご都合主義な感じがしないでもないが、それも目には見えない力の為せる業と考えれば納得。 ザクロの実に希望を託す最後の1ページを読むと、清々しさで胸がいっぱいになる。 とにかく後味のいい1冊だ。 後味、味、と言えば、本書の各章の初めには代表的なペルシア料理のレシピが載っている。 それをマルジャーンが作っていく描写が、匂いさえ漂ってくるほどリアルで、読んでいるだけでお腹がぐうぐう鳴ってしまう。 胃酸過多の方は、本書をお読みになる前に何かしら口にしておいたほうがよいでしょう。 |
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文・読書推進委員 加藤泉 構成・宣伝課 矢島真理子 |
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