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第20回 2007年2月22日 |
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ベストセラーの楽しみ方 | ||||||||
【※今回の「本の泉」は、紹介する作品の内容に関する記述が含まれていますのでご注意ください。】 | ||||||||||
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まず初めに、第136回芥川賞受賞作、青山七恵『ひとり日和』。 主人公は、親戚筋のおばあさんが暮らす一軒家に、下宿することになった若い女性。 都会の片隅で開発に取り残されたような家に暮らす、2人の春夏秋冬が描かれている。 「淡々とし過ぎて、思わず縁側でお茶を飲みながら、そのまま寝てしまいそう」という山田詠美氏の芥川賞選評もむべなるかな、本当に「淡々と」した小説だ。 1年間の間に、主人公は2人の彼氏に振られている。 アルバイトも2つ辞めている。 それでも「淡々と」日々を送っている。 この「淡々と」が、この小説の肝なのだと思う。 淡々と生きていても、過ぎ去っていく事柄だけは速いということが。 ただ、一人暮らしを始めた主人公が、電車の中からその一軒家を見つめるラストシーンには胸が詰まった。 家を出てから2ヶ月も経っていないのに、「そこにある生活の匂いや手触りを、わたしはもう親しく感じられなかった」と主人公はいう。 何も感じなくなった自分に気付いて心が揺らぐのは、普段気づかないでいる"時の流れ"を意識してしまった瞬間なのだと思う。 大げさな言い方かもしれないが、このラストには人の世の無常が感じられた。 |
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次に、大御所山田詠美の『無銭優雅』。 40歳を過ぎた、しょーもない男女の恋愛小説…なのだが、女が齢を重ねることの何たるかを描いた小説にも思える。 主人公は、年だけはとっていくのに中身は何も変わっていないということを自覚している42歳の女性だ。 大人になるのはシンドイので、いつまでも少女のままでいられるような恋愛を楽しんでいるのだが、父親の死を契機に、重たい現実が主人公にのしかかってくる。 正直に言うと、主人公とその恋人のバカップル的なやりとりよりも、主人公と父親の会話のほうに多く感じ入るものがあった。 特にグッときたのが、父親の「パパとママは、いつか死んじゃうんだってこと忘れないでいてくれるかな?」のセリフ。 主人公はとっくに「娘」と言われるような年齢ではないが、父親がいなくなるということは自分を「娘」と呼んでくれる存在が1人いなくなってしまうということなのだ。 主人公が父を求めて泣き喚くラストシーンには、いつまでも「娘」でいたいという女性の正直な気持ちが描かれていると思った。 自分も含め、30代以上の女性には痛すぎるほど身につまされる小説だ。 |
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最後に、今をときめく伊坂幸太郎の新刊『フィッシュストーリー』は、長編でもなく、連作短編集でもない、ごく一般的な短編集なのだが、ちょっとした仕掛けがある1冊。 それは、本書の短編の主人公たちが、伊坂幸太郎の過去の作品の名脇役たちであることだ。 と言っても、これまで伊坂幸太郎の作品を全く読んだことがない方でも楽しめるはずなので、伊坂幸太郎未経験の方も安心されたし。 なぜなら、過去の登場人物たちの名前をまったく覚えていないアルツハイマー気味の私でも、十分楽しめたからだ。 本書に収められた4編の中で最も印象に残ったのが、表題作「フィッシュストーリー」だ。 売れないロックバンドが最後の一曲に懸けた思い。 それがいずれ大きな勇気となって世界を救う、大きな時の流れを感じさせる短編だ。 伊坂幸太郎が「勇気」を描くとこうなるのか、ははあ、と感心してしまった。 他の作品を読んでも感じることなのだが、なんだろう?と思って小さい穴(うさぎの穴くらいの)に入ってみたら、たどり着いた先はとても大きな出口だった、と感じさせるものが伊坂作品にはある。 伊坂幸太郎に関しては、私一人がどれだけ言葉を尽くしてもこの作家の良さを語りつくせないと思われるので、次回の「本の泉」は、有隣堂有志による伊坂幸太郎特集にします。 |
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文・読書推進委員 加藤泉 構成・宣伝課 矢島真理子 |
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