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有鄰


平成11年10月10日  第383号  P4

 目次
P1 P2 P3 ○座談会 源頼朝の実像 (1) (2) (3)
P4 ○岡本太郎と川崎  岡本敏子
P5 ○人と作品  別所真紀子と『雪はことしも』        藤田昌司



岡本太郎と川崎
岡本敏子





   ユニークな構想の岡本太郎美術館が川崎にオープン

 十月末に、川崎市生田緑地にオープンする『岡本太郎美術館』は、まったくユニークな、魅力的な構想を 持っている。

 五千五百平方メートルという、個人美術館としては例のない規模の大空間を真二つに分けて、半分を 常設展示、半分は企画展示室になっている。この常設部分が面白い。迷路のように、二筋に分れ、三筋に 分れ、観客は決められた順路を進むのではなく、自分の意志と気分で、選び、迷いながらたどって行く。 いつの間にかまた元に戻っていたりする。

 床の高さも段差があって、上ったり下ったり変化するので、彫刻を上から見おろしたり、下から見上げた り、まったく別の角度から様々の表情を楽しめる。

 その上、照明、映像、音響と、いろいろに工夫がこらされている。今までの展覧会では経験したこと のない、劇場的な空間で作者と語りあうのだ。

 のぞき窓があるかと思えば、街なかの路地のような、狭い通路の両側にTAROの遊び心のあふれた 小もの、食器、アクセサリー、時計、メダルなどがぎっしりと顔を並べている。ふと床をのぞくと彼の デザインの時計がくるくる廻って時を刻んでいる。

 いわゆる美術館というと誰でも思い浮かべる、白い壁の、四角い箱のような大きな部屋によそよそしい 顔つきで絵が並んでいるという、何か威圧的な、とりすました雰囲気とはまるで違う。岡本太郎の生命の 爆発する諸相が体感できるように、楽しい趣向が詰め込まれているのだ。

 この展示を構成し、空間設計から演出、いろいろな仕掛けを考えたプロデューサー・平野暁臣は、 「ここは遊園地と思ってください。画家であり、彫刻家であり、カメラマンであり、民族学者であり、詩人で あり、巨大なモニュメントや建築も作れば、顔のあるグラスやかわいい泪のペンダント時計とか、家具、 マスク、とにかく多面体なんです。それが全部、まぎれもなく『岡本太郎』であることが凄い。 その様々な顔に驚き、対話しながら、半日でも、一日でもこの中をめぐり歩いてほしい。あらゆる隅々 にまで、岡本太郎のみちみちた空間なんだから、きっと元気になります。」と言っているが、こういう ユニークな試みが出来るのも、幅ひろくジャンルをふみ越えて挑みつづけ、生きることそのものが芸術で あった、岡本太郎の美術館なればこそだろう。

 人々が訪れて、どんな反応を示すか、楽しみだ。

   二子玉川に故郷のような親しみを抱えていた岡本太郎

 川崎にこの美術館が建てられることになったのは、母親の岡本かの子が呼んだのだと思う。東京をはじめ、 全国の各地から、美術館を作ろうというお話は幾つも来ていた。岡本太郎は絵を売ることを嫌って、代表作の ほとんどを手もとに残していた人なので、勿体ない、あれを一堂に集めて展示する場を作ったら、とは誰でも の考えることだったろう。立派な設計図まで出来て、今にも始まりそうなところまで行ったこともあった。 それが何かかけ違って、実現しないでいるうちに、川崎市の市民ミュージアムが『岡本かの子展』 『一平とその弟子たち展』『岡本太郎展』と連続して毎年、いい展覧会を企画、岡本一家に対する川崎市の 思いの深さを見せてくれた。こういう縁が、徐々にこの美術館が出来る下地、地ならしをして行ったのだろう。 岡本太郎は筋を貫くことには強いが、一方、人の熱意や純情に対しては、無条件で、裸で応える人だ。

 もともと彼は川崎の高津区、母・かの子の実家、大貫家のある二子玉川のあたりには、故郷のような 親しみを抱いていた。懐しい想い出がたっぷりあったようだ。

 まだ幼な児の頃、母に連れられてよく二子に出かけた。「その頃は多摩川にはまだ橋が架かって いなくてね、白い帆掛舟が浮いているのを見たことがあるよ。浮世絵みたいだろ。」と言っていた。

 いまの東急・新玉川線、昔の玉川電車は走っていたそうだが、始発の渋谷駅には竹矢来が組んであったと いうから驚く。今の人たちは竹矢来といってもイメージが浮ばないかもしれない。時代劇の仇討ちの場面や、 お仕置きの刑場のまわりに、粗く竹を斜に交叉させて組み、結界にしている、あれだ。今日の渋谷駅周辺の 賑わいからは想像もつかない。

   多摩川畔に立っている岡本太郎作の『岡本かの子文学碑・誇り』

 多摩川の東京側の岸辺が終点で、電車を降りると、とことこと川べりまで下って行き、渡し舟に乗った そうだ。「向こう岸には大貫家の連中や奉公人が並んで立って、手を振っているんだ。あれは懐しい光景 だねえ。でも、なんで出迎えに来てたんだろう。何時頃行くって、知らせてあったのかなあ。」

 とその話をする度に不思議がっていた。

 その渡し舟の着いたあたり、川崎側の多摩川畔に『岡本かの子文学碑・誇り』が立っている。

 白い細身の優雅な彫刻『誇り』が、羽をひろげたような姿で、ひらりとのびあがって、多摩川の上流を 見つめている。それは岡本かの子の像であるとともに、しなやかに生き貫く人間のいのちの象徴でもある、 美しい記念碑だ。

 これを建設する時には面白いエピソードがいろいろある。もう亡くなったが、地元の観音院の住職で 文化協会長などもしておられた荘司高雄さんは熱烈な岡本かの子ファンで、まわりの人から「荘司さんの恋人 はかの子さんなんだから。」とひやかされていた。

 まだ若い小僧の頃、谷中のお寺で修行していた。その老師のところに、岡本一平・かの子夫妻が時々来て いたそうだ。後に一平の母・正さんが国府台の寮で亡くなった時、そちらに墓を作って、太郎の弟、妹で 夭逝した豊子、健二郎もそこに合葬するから、とお骨を取りに見えていた、と話してくれたことがあるから、 岡本家の菩提寺だったのだろう。

 恐らく荘司さんあたりの発案だったのではないかと思うが、二子に「かの子碑」を作りたいという話が もちあがって、有志揃って太郎のところに相談に来られた。もちろん、彼に否やのあるはずがない。 「喜んで協力しましょう。」ということになった。

 川崎の方達は、碑といっても、小さな自然石に歌でも彫るくらいの、よくあるスタイルを考えておられた のかもしれない。それをよく確かめもせずに、岡本太郎は「多摩川畔にかの子碑を」と聞いたとたんに、 もうパッとイメージがひらめいた。

 これは彼のいつもの流儀で、こういうものを作ろうという、その完成した色、形、規模、そっくりその まんまの姿で浮んでくるのだ。早速、原型を作りはじめてしまった。『誇り』という白い彫刻。その土台は こんもりと自然にもりあがって、塚のようだ。低い、柔いもりあがりに自然石を貼りつけ、その間に草が 生えるようにしてある。土台の一角はシャープにそそり立って、その滑らかなコンクリート打ちっ放しの 面と、自然石、草の土台との対応が心憎い。この土台も岡本太郎の彫刻なのだ。

 こんな文学碑はほかには絶対にない。素晴らしい造型だが、ちょっとお金がかかる。川崎の予算ではまか ないきれない。そこで全国の岡本かの子ファンからも志を寄せて貰おうということになった。 文藝春秋が世話役を引き受けてくれて、趣意書を作ったり、最初とはケタ違いの大がかりなことになってしまった。

   かの子の記念碑建設には、川端康成や瀬戸内寂聴らが尽力

 打ち合せのため何度も会合がひらかれた。地元の有志と文壇側、製作者の岡本太郎が協議を重ねた。 ところが岡本太郎は芸術論一本槍だから、その主張が地元の人たちにはチンプンカンプン、異星人の言葉の ようで、てんで理解できない。また川崎側の現実的な心配や、細々した言い分は太郎には全然通じない。

 その頃、瀬戸内寂聴さん、まだ晴美さんだったが、『かの子撩乱』という連載をはじめて、よく青山の アトリエに話を聞きに来ておられた。文壇側の世話役、兼岡本家の代理人、というよりも双方の通訳になって 奮闘してくれた。

 彼女の言によると、川崎の人たちは初めは「大貫家のあんな不良少女のために、なんで俺たちが金を 出さなきゃならないんだ」などと、不満の人も多かったらしい。ところが大作家、川端康成先生まで わざわざ足を運んで、「かの子さんは世界に誇る偉大な文学者です。また今度の太郎さんの造型も すばらしい。是非これを実現させたい。」とじゅんじゅんと説いて下さったり、瀬戸内さんの名通訳の力も あって、ついにあの見事な姿で建立されることになったのだ。

 瀬戸内さんはこの交渉の過程で、初めて川端さんに会った。その時、川端さんは初対面の彼女に深々と 頭を下げて、「かの子さんの為に、いろいろとやって下さって有難う。」と本当の身内のように挨拶された そうだ。「あんな雲の上の人のような大御所が、私みたいなチンピラに、深々と頭を下げてそうおっしゃった のだ。私はもうびっくりして、後ろにひっくり返りそうだったわ、ああ、川端さんは岡本一家に、これ程の 思いを抱いていらっしゃるんだなあと思って、感動した。」

 今度の岡本太郎美術館には『母の塔』というモニュメントが立っている。その軸線は正面よりちょっと ズレている。それは『かの子碑・誇り』に向っているのだ。





 おかもと としこ
 一九二六年千葉市生まれ。
 岡本太郎氏の養女、元秘書、岡本太郎記念館館長。
 著書『岡本太郎に乾杯』新潮社 1,470円(5%税込)。





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