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平成11年12月10日 第385号 P2 |
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目次 | |
P1 P2 P3 | ○座談会 今、歴史に学ぶこと (1) (2) (3) |
P4 | ○茅ヶ崎と小津見たまま 石坂昌三 |
P5 | ○人と作品 山本文緒と『落花流水』 藤田昌司 |
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座談会 今、歴史に学ぶこと (2)
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藤田 | 歴史をさかのぼりますが、明治という時代は、日本の近代化を進めた偉大な時代で、戦後の五十年間はとてもそれに及びませんが、明治を築いた男たちは、一人ではなしに群像、全体の力だったと思います。城山先生は、その中の一人、渋沢栄一にほれ込んで『雄気堂々』を書かれたんじゃありませんか。
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城山 | 余りにも偉い人ですからね。 |
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藤田 | 王子の山の上に記念館がつくられ、現在でも神様みたいに扱われています。渋沢は埼玉の農村の出身なんですよね。 |
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城山 | 明治の立身出世コースは大体、薩長の下級士族です。埼玉の農村の出身で成功する理由がないのに、あそこまでいったのは何か。
一つは、ものすごく吸収する。僕は「吸収魔」と名づけました。あそこは藍をつくっている。藍は絶えず市場が変動するから、それに対して敏感でなくちゃいけない。またあそこは中山道が通る通信のルートだから、単なる農民でなく、そういう情報に敏感な暮らし方をしていた。 それから、彼は吸収したものを自分の中にしまっておかずに、一橋家に抱えられたころから建白書を書く。 提案するんです。「建白魔」と言われるぐらい。全部破られるけど懲りずに建白する。最後に徳川慶喜が見て、「これはいい。これはうちで雇え。やらせてみろ」と。そこで彼のルートが開ける。 もう一つは「結合魔」。人と人とを結び合わせてやまないところがある。彼の偉かった点として側近の人が挙げるのは、渋沢は誰に対しても心のすべてを傾けて応対する主義だったと。総理であろうと就職を頼みに来た学生であろうと差別しない。だから秘書が一番困ったのは、時間の約束が全部崩れると。でも会った人はすごく彼に力をかすようになる。 「魔」という言葉をつけたくなるぐらいやる、この三点で傑出しているから、ああなったと思う。 |
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管理職も指揮官も少しでも上に立つ人は気概があった
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藤田 | それはいわば明治の上層部の人間ですね。それに対して、津本先生の『深重の海』に書かれている鯨とりのような明治の男たちの気骨が一方にあって、それが呼応し合って、明治という時代が築かれたんじゃないかという感じがしますが。
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津本 | 明治の日本人はかなりけんか早い。是清がペルーの銀山に行くときに連れていった鉱夫や大工が非常に鼻息が荒く、小柄な体で現地の荒くれ男とけんかをする。今の日本では考えられないほど、あのころは気力があった。それに運を天に任すというか、割と大ざっぱな人生観みたいなものを持っていた。それがエリートの国家になってくると、なかなか……。
そういった、やんちゃというか、気骨が明治のころまで貧しい暮らしの中で残っていた。 |
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藤田 | 一方に民衆のエネルギーがあり、一方にそのエネルギーを集約していくリーダーがいて、明治はつくられてきたんでしょうね。
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城山 | だから、両方にそういう人がいると、中間管理職もやはり気概があった。 さきほどの鈴木商店と仲のよかった松方幸次郎は、川崎造船所で潜水艦をつくっている。佐久間艇長もそうでしたが、潜水艦の事故があった。そのあと、また次の潜水艦が事故を起こして沈みかけたらほかの船でつき添って見ていたその船の設計技師が、その潜水艦に飛び乗り、どういう理由で沈んでいくかを自分で見ると言って、潜水艦と一緒に死んでいく。上の人も下の人もしっかりしていたんでしょうけど、中間管理職もそういう意味で、やはり気概があった。 役人にしろ、管理職にしろ、指揮官にしろ、少しでも上に立つ人は、みんな気概とかあった。 |
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藤田 | 明治の一番原動力になったのは維新ですが、この辺は津本先生は『開国』その他でもよく書かれています。 |
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津本 | 大きな組織が荒廃してきて、外国からも新しい圧力がかかり、結局、それまでの階級社会がひっくり返らなければ仕方がないという状況になってくる。そういうときに一度にいっぱい人が出てくる。戦国時代も、敗戦後もいろいろ出てきた。幕末・維新もそうだと思う。
とにかく、それまでの階級社会ではもう対応できない。そういうときに開国する。開国したら、幕府がものすごくもうかっている。生糸やお茶を輸出し、その利益が幕府に流れ込んだ。 初めは幕府はイギリスと組んだ。イギリスの力に頼って長州・薩摩をつぶしたかった。イギリスはそのことで恩を売って、それでからみつこうと思っていた。ところが、そういうのをわかっている人がいる。これは危ないと言って、それはどっち側にもある。そういう人たちが、何とかうまいことかじを取ってきた。 それで、攘夷とかいって外国人を斬る。幕府を困らせてやろうと思って斬るんだけれど、あれは諸外国に、日本を清国みたいに武力で制圧しようとするのを、ためらわせる原因にもなっている。 池田屋騒動があった時、横浜には各国の軍艦が三十三隻もいて、陸軍と海軍を合わせて一万人近く駐屯していた。日本を占領するか否かと相談している。清国はみんな個人主義で知らん顔しているところだから、 英仏連合軍一万弱で北京までいきなり行ったけど、日本はできないと言って思い止まっている。 とにかく、どこもかしこも八方破れみたいな形で時代が推移していく。その間に賢い人間が一生懸命に動いているんですが、一人の人物が動いて時代が動くんじゃなくて、やっぱり日本の国運というのがあった。それで自然にあんなふうに回っていったと思うんです。 |
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大混乱の時代を直視していた島津斉彬らリーダーたち
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藤田 | しかし、その大混乱の時代を直視していたリーダーがやっぱりいたんですね。 |
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津本 | やはり上に立つ人、島津斉彬、徳川斉昭、阿部正弘ら大物はみんな、これは危ないということは、知っている。攘夷と言う人も、心では開港は当たり前だと。だから表でけんかしていても、裏では理解があった。ところが、その人たちが死んで小物になってくる。そうしたら本気でけんかをする。だから、だんだん危なくなってくる。
そういうとき、井伊直弼なんかがやり過ぎた。だから、幕府方の大久保一翁はエリートですが、それでも海外のことはよくわかっていて、勝海舟を掘り出してきて、幕府の腐ったところを、むりやり切ったら大変だと言ってブレーキをかけた。みんな失脚しましたが、そういう人たちが種をまく。 坂本龍馬も同じような動きをする。桂小五郎(木戸孝允)とか西郷隆盛もみんなわかっている。大久保利通はすごく勘定高いけど、わかっているから、そう簡単にひっかからない。そういう点は日本人は民度が大変高かった。ヨーロッパ人の手のうちはある程度見透かしているわけです。中国はアヘンでやられたけれど日本人は高いと言って買わない。それが民族の感覚の違いですね。 |
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やり過ぎて反感をかった井伊直弼
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藤田 | 井伊直弼が桜田門外の変で殺されたのも、やはり風評被害ではないかと思うのですが。結局、彼はちゃんとわかっていたのに、いろんな悪い噂を立てられ、水戸の浪士たちに刺し殺された。
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津本 | そうですね。あの人は屈折しているでしょう。三十幾つで藩主になり、それで大老になった。それでお茶をやる。一期一会でしょう。だから、非常に突き詰めたようなところがあり、もともと小心なんです。それで幕府の先兵として頑張らなきゃいけない。
彼も攘夷なんかできないとわかっているけど、それに乗っかって、幕府に圧力をかけてくる連中のたたきつぶしをやろうと思って、ちょっとやり過ぎた。長野主膳とか、小ぶりな人物を何人も手先に使って、割とこせこせしたことをやる。安政の大獄で、公家なんかは大どころから押さえていけばいいんですが、それをごたごたして、ものすごく反感を買った。そういう点では政治家としては余りよくなかった。純粋な人というのは割とやり損じがありますね。 |
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世の中の変化に敏感だった勝海舟
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藤田 | 勝海舟については。 |
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津本 | 勝は四十一石二人扶持の御家人で、曽祖父が金貸しの男谷検校ですから、金銭的な頭は働く。それと幕府のいやらしい小普請役にでもつけてもらおうと思ったら、とにかく毎日毎日、役人におべっかを使わなきゃいけない。そういうのに勝はもう絶望した。初めは剣の先生になろうと思ったけれど、だめで、それで蘭学。数学は全然できなかったから、長崎に行っても方位測定とか航海術もできなかった。大局をつかむのは大変賢いですよ。
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城山 | 数学ができないと航海術はできないですよね。だから、アメリカに行くときには船酔いしたという口実で。 |
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津本 |
そして、オランダ書を翻訳して、大砲や砲台をつくるようになった。それで生活が楽になっているんですよ。 それで、先ほどの大久保一翁のところへ、開港かどうかの建白書を出した。それで小普請役にこんな男がいるのかと調べさせた。それから引き立ててもらった。 大久保はまじめ一方の侍でも、非常に先が見える人。経済は詳しい。龍馬はもちろん商家の子です。調べてみると、幕末に動いているのは、大体まともな侍でないほうが多いですね。桂小五郎もちょっと違う。高杉晋作は侍ですから狂ったみたいなことをやる。桂は医者ですけど、ちょっと商人の関係があるんです。 |
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藤田 | 激動の時代は、今までと別の価値観が入ってくる時代だから、権力を握っていた人ではなく、別な角度から見る人間のほうが、大局をつかむことができたんですね。
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津本 | そうです。安政の大獄で捕らわれた若狭(福井県)小浜藩の梅田雲浜もすごい。あらゆる商人を網羅して、 貿易みたいなことをやって、もうけた金をみんな志士たちに分けてやっている。だから、経済感覚の発達した人が結構いますね。
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自分の哲学をもつ“境界の人間”西郷隆盛
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城山 | 今の経営学で、そういうのをマージナルマンと言うんです。 |
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藤田 | 境界の人間ということですね。 |
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城山 | こういうときには、マージナルマンが経営をやるべきなんです。渋沢栄一も農民なのか士族なのか、境目と言われてきた。今、話に出てきた人たちは、ほとんどみんなそうでしょう。境目の人たちが活躍する舞台。
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藤田 | 結局古い階級が崩れるときにはマージナルマンが一つの大局をつかむことができるわけですね。 |
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津本 | そうです。いっぱい人がいるけれど、誰も信頼できない。みんな本音と建前を使い分けている連中ばかりなんです。だから、誰かが統率しなきゃいけない。それが西郷です。
西郷は、初めは島津斉彬のスポークスマンでやっていたから、各藩の偉い人が人柄を知っていた。西郷はまた、不思議に不運の家で、代々無実の罪で切腹させられたりしている。だから、もともと厭世的なんです。 それが斉彬に発掘されて、バッとふところに入る。斉彬のために生きているんだと。斉彬が死ぬと、月照と抱き合い心中して、西郷だけ生き返った。そしたら、もう自分は土中の死骨だと言って、生きる欲がない。しかし、斉彬の遺志を達成するために働こうと。それで沖永良部へ流された。そこで牢屋の惨たんたるありさまを見たら、普通だったら自殺する。ところが、自分では死のうとしない。天命だと言う。殺しに来たら、牢屋の所に、胸を一突きにしやすいように出している。 だから、あの人は怪物です。西南戦争では、八千八百人から死んだ。それでも自殺しない。誰かが殺したと いう説がありますが、そのままだったら、また政府に戻っているかもしれない。 何か自分の運命は天と合致していると、そういう不思議な、使い方ではちょっと危ないかみそりです。ところが、それにみんなバーッと吸い寄せられる。普通の欲のある人と違うから、安心するんですね。不思議な人だと思う。ただの清廉潔白とか、死にたがりではない。何か彼の哲学がある。 |
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ビッグバンや経済のグローバル化は第二の黒船来航か
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藤田 | 今までのお話で大分出てきましたが、ビッグバンとか、経済のグローバル化と言われていることが、第二の 黒船来航だと言われていますが、大分共通点はあるんじゃないでしょうか。開国を迫られたことが、日本の階級社会の崩壊につながっていったと同時に、もう少し日本の守り方もあるんじゃないか。経済という面から見ると。
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津本 | しかし、今の経済は我々にはわからない。アメリカは貿易がものすごい赤字です。ああいう状況で、物をたくさんつくり、大量生産の時代は過ぎてもう需要はない。それで為替の操作などで儲ける。しかし、事実、大量生産は必要ない時代になっているのかと思う。人口が六十億にもなって、やっぱり時代の変化で、今こういう形になっているんじゃないかと思うんですが。
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城山 | グローバルベースなどと言うけれど、その実態は何か。民族はみんな、それぞれ生き方が違うし、そんなベースはあるわけではないけれど、それを都合よく利用している勢力がある。それをまた日本に押しつけることで、利益を得る勢力もあることは確かですね。
この前、ある大物財界人から、「城山さん、孫正義さんという人をどう思う」と聞かれたんです。僕は「興味はありません」と言ったら、「それじゃ済まないことですよ。彼は今度、内閣の重要な審議会の委員にもなったし、日本の経済にコミットしているんだから、もうちょっと興味をもってもらわないと」と言われた。 ちょうど今、文春が孫さんのことをやっていますが、あそこにもわからないところがいっぱいある。わからないというのは普通の意味でのわからないではなくて、つまり、これまでの常識では理解できない経済構造、あるいは経営者の構造として範疇に入ってこないものがいっぱいある。しかし、そういう人が日本の経済をある意味で動かし、政治にまでかかわってきていることは、一体どういうことかということでね。 |
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藤田 | 何か日々の報道ではとらえ切れないものがあるような気がする。 |