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有鄰


平成12年3月10日  第388号  P4

 目次
P1 P2 P3 ○座談会 現代の人と住まい (1) (2) (3)
P4 ○桜花と陰陽五行  吉野裕子
P5 ○人と作品  森下典子と『デジデリオ』        藤田昌司



桜花と陰陽五行
吉野裕子





  五気の推移、循環、終始をもって1年とする

 稲作民族としての日本人にとって、古来、もっとも重要な時間の単位は一年である。私見によれば日本人は この重要な一年という時間も、中国古代哲学の易・五行の法則によって構造化し、その四季の順当な推移を、 祭り、行事によって、人間の側からも促し続けて来た。

 つまり、四季の推移も、ただ漫然と自然に任せ切ってしまうのではなく、その折目節目に、祭り、年中行事を 配置して、その規則正しい循環を祈求している。

 本論のテーマは「桜」であるが、日本人の桜に対する思い入れは、

・世の中にたえて桜の
 なかりせば
 春の心はのどけからまし

の古歌にもみられるように、他に冠絶し、「花」といえばそれは時に桜を意味するほどである。

 それは何故か。従来、その理由は桜そのものの美しさはもちろん、その散り際のよさ、生命の短かさ、脆(もろ)さ、 はかなさ、までが讃めたたえられ、宣長に至っては、その挙句、

・敷島の大和心を人問はば
 朝日に匂ふ山桜花

と、理由(わけ)もなくいい捨てている始末である。

 しかし日本人の桜の花に寄せる思いを推理する場合、このように感性への訴えを挙げるだけで果して事足りるのであろうか。

 前述のように、陰陽五行においては、「一年」という時間も次のように構造化される。

 春──木気
 夏──火気
 秋──金気
 冬──水気

 すなわち、四季は木火金水の四気に還元、あるいは配当され、各季の末(すえ)の十八日間にはそれぞれ、土気が 割り当てられていて、この五気の推移、循環、終始、をもって、一年とする。

  陰陽五行の法則を負う桜

 有名な西行法師の歌に、

・願はくは花の下にて
 春死なむ
 その如月(きさらぎ)の望月の頃

がある。この場合にも「花」とは、もちろん「桜」、如月とは旧暦の二月、望月の頃とは十五日、 つまり旧二月十五日の頃、桜の下で亡くなりたい、というのである。

 旧二月十五日は春分、木気の正位である。桜の開花は年によって多少の遅速はあるものの、大体、二月の 中頃、春分の候、と考えられていた。また事実、近年でも春のこの彼岸の頃、満開の桜を青山墓地で私も見た。 要するに桜は「木気の正位」を象徴する花として意識されて来たのである。

 「木気の正位」とは稲作民族にとって最も重要な季(とき)で、伊勢神宮の年穀祈願祭「祈年祭」(としごひまつり)もまた、かつては 旧二月十七日斎行(さいぎょう)の祭りであった。

 それならば、日本人の桜に対する思い入れは、それがただ単に美しいためのものではないはずである。

  木気の特色

1.木気のパワーの及ぶ範囲、つまりその分野は「植物一切」で、大小種類を問わない。
2.その中心は、春分を含む「旧二月」。
3.そのパワーの特色は「生気」、「発展」。
4.その色は「青」、方位は「東」。

 そこで木気の正位、旧二月十五日頃に開花する桜は、正に百花の中の王者、花といえば、すなわち、桜なのであった。

 それは女王をして女王たらしめるものは、その美しさより、むしろその位にあるのと全く同様である。

 日本人の生命を預(あず)かる稲作を始め、五穀の類(たぐい)も、すべて木気に含まれる。

  「花見」と「月見」は収穫の始終を見定める宗教行事

 この重要な木気の中枢、旧二月に咲く桜を私どもの先人たちは、これをただ、美しいとしてのみ取扱うことは 到底出来なかった。
吉野山の桜
吉野山の桜−奈良県吉野町経済観光課提供


 桜が咲けば、「よく咲いた、今年の稲の出来も頼むぞ」といって、仕事を休んで野山に出かけ、花の下で 宴をひらき、春の一日をこの花を賞(め)で、慈(いつ)くしみ、自分達もまた楽しく過し、 花に身も心もすべてを捧げる。

 これが先人たちの「花見」だった。これを花見とするならば、その由来は遊楽であるよりも、むしろ一種の 信仰行事に近いものであったはずである。日本の歳時習俗のほとんどの源に信仰がみられるが、遊楽の代表と みられてきた「花見」さえ、その好例と思われる。

   ×   ×   ×   

 「花見」といえば当然、連想されるものは「月見」である。この両者は五行の法則に照すとき、相互に深く 関連し、ここに先人たちの生命線に対する深い思いをみることが出来る。

・月々に月みる月は多けれど、
 月みる月はこの月の月

 とよまれているように、この歌の通り、「月見」とさだめられている季は、旧八月十五日の月を指す。

 旧暦の八月は、七・八・九の秋の金気の正位。二月の木気の正位に相対する。

 旧八月は秋の気の澄む頃で感性的にも秋の詩情に富む時である。しかし先人たちがこの旧八月を「月見」に 配したのは、感性によるよりも、花見と同様、これも五行の法則に照しての行事なのであった。

  金気の特色

1.その分野は、金属一般、岩 石、等
2.その中心は、秋分を含む「旧 八月」
3.そのパワーの特色は「殺気」、 「結実」、「収穫」
4.その色は「白」、方位は「西」。

 そこで旧八月十五夜の月は「金気正位の月」。先人達はこの金気の本性である固く結実する力、すなわち、 穀物の実りの象徴として、旧八月十五夜の月を祀ったのであった。

 木気の春分、金気の秋分は一年を陰陽に分ける重要な軸の一つであるが、この軸上に日本人は二大民族行事 としての「花見」と「月見」を置いた。従ってそれは生命の源としての収穫の始終を見定める宗教行事として 位置づけられるのである。

 桜の第一義を、その美しさより、むしろその木気正位に開花する花、木気代表の花とするとき、吉野山が この桜の本場として日本全国に君臨する理由づけも、従来とは別途の方法がおのずから可能である。

 結論を先にいえば、五行の「相生(そうじょう)の法則」の一つ、「木生火(もくしょうか)」すなわち、 「木が火を生み出す」という法則の導入が、先ず挙げられる。

  桜は吉野山の首峯、青根ヶ峯の守護神

 日本古代史の中で、首都の南岳としての吉野山の地位は不動である。南は先天易では「天」、後天易・五行 ではこの南の方位は「火」を象徴する。

 この吉野の大峯山の首峯は「青根(あおね)ヶ峯(みね)」。この山は端正な三角型の円錐型である。 私どもの先人達は円錐型の山を「カンナビ山」と称して信仰の対象として来た。

 マッチを擦っても判るように炎は三角で、「火」はこの「炎」を象どる象形文字なので、青根ヶ峯は 正真正銘の「神名火山(カミノヒヤマ)」であって、吉野山信仰の中枢と推測される(カンナビには種々の 宛字がされ、その意味も諸家によって異なるが、私は神の火山と解釈する)。

  人間は「火」を祖霊として祀り、「火」はその祖として「木」を祀る

 五行では「人間」は「土気」に配当される。この土気、すなわち人間を生み出すものは「火生土(かしょうど)」 の法則によって「火」。火こそ人間の祖(おや)なのである。

 日本人が円錐型の山を精霊のこもる処として信仰して来た理由はここにある。またトグロを巻く蛇の姿と しても円錐型の山は信仰され、蛇信仰と五行の両者は神名火山信仰においても習合している。

 この大切な「火」を旺(さか)んにするものは、「木生火」の理で「木気」。

 青根ヶ峯は、その形で火を示し、すでにその名にも木気の「青」を負い、「火」としての自己を明示している。 それならばこの青根ヶ峯にとって、もっとも大切なものは「木」。それも木気の正位としての桜は、青根ヶ峯に とって大切な「御祖(みおや)」である。

 人間は自分を生み出してくれた「火」を、祖霊(それい)として祀り、更にその「火」はその祖(おや) として「木」を祀る。吉野山の首峯、青根ヶ峯にとっては桜はその祖(おや)であり、守護神である。

 このように推理すれば、吉野山を桜で埋めつくそうと取り計らった人こそ、他ならぬ開祖「役(えん)の行者(ぎょうじゃ)」 ではなかったろうか。桜を讃えることは吉野山への讃歌、それはすなわち人間讃歌につながるからである。





よしの ひろこ
一九一六年東京生れ。
山岳修験学会、日本生活文化史学会、各理事。文学博士。
著書 『易・五行と源氏の世界』人文書院2,100円(5%税込) ほか多数。





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