■『有鄰』最新号 | ■『有鄰』バックナンバーインデックス |
平成12年3月10日 第388号 P5 |
|
|
目次 | |
P1 P2 P3 | ○座談会 現代の人と住まい (1) (2) (3) |
P4 | ○桜花と陰陽五行 吉野裕子 |
P5 | ○人と作品 森下典子と『デジデリオ』 藤田昌司 |
|
人と作品 |
占い師の託宣を調べて回った迷宮体験記 森下典子と『デジデリオ』 |
五百年前の異国の彫刻家の生まれ変わり デジデリオ・ダ・セッティニャーノ、といっても知る人は少ないだろう。ルネサンス期のフィレンツェで 活躍した彫刻家だそうだ。ところが『典奴どすえ』などで知られる横須賀生まれで横浜育ちの若手ノンフィクション作家、 森下典子さんがこの五百年前の異国の彫刻家の生まれ代わりだというのだ。占い師にそういわれてフィレンツェを訪ね、 調べて回ると意外や意外、占い師の託宣は的中していることばかり。本書『デジデリオ』(集英社文庫)は その迷宮体験記だ。本当に本当の話なのだろうか?「フィクションは全くありません。省いた部分はありますけど、付け足したり、ねじ曲げたりしたところは ありません。ただ占いの女性の名前だけは、プライバシーに配慮して仮名にしました」 この奇妙な体験は雑誌『家庭画報』編集部からの電話で始まる。京都に人の前世が見えるという女性がいるので、 その人に前世を見てもらって感想を書いてほしいというのだった。森下さんは「ドキドキする遊びのつもり」で 出かけた。そこでその女性、清水広子さん(仮称)に言われたのは、森下さんの前世は鑑真和上(がんじんわじょう)と一緒に大陸から 船で渡ってきた唐招提寺とゆかりの深い学僧ということだった。 つまらなくて原稿にする気も起きず、森下さんは翌日、清水さんに電話してみる。そこでさらに言われたのは、 生まれ変わったのは五度目で前世は遠い外国とのこと。「どこか好きな場所とか、気になる場所、あるんじゃない?」と 聞かれてイタリアと答えると、そこから持ち帰ったお土産物があったら持参してほしいという。森下さんが 持参したベネチアグラスの小瓶を持って、大津市の寺を訪ねた清水さんの脳裏に浮かんだのは、ルネサンス期の 彫刻家デジデリオの姿だったという。 「最初に言われたときは、真に受けなかったのですけど、あまり具体的に言うので、何かからくりがあるのでは ないかと興味がわいて、調べてみる気になったんです」 清水さんのいう具体的な話とは──。デジデリオは一四三〇年、ポルトガルのポトに生まれた。王族が町娘に 産ませた私生児。女の子のような華奢な美少年だった。音痴だったため教会の聖歌隊を外されたが、絵の上手な 少年で、やがてイタリアのフィレンツェの石工の家に預けられた。そのころフィレンツェに有名なロッセリーノ工房があり、 そこでデジデリオは彫刻家として働き、後に自分の工房をもつに至る。また、彼は同性愛者で、相手はフィレンツェの貴族だった。 デジデリオの作品を見たければ、モンテ・アレ・クローチのサン・ミニアート・アル・モンテ聖堂へ行け……。 いうまでもないが、こういった記述は日本の百科事典などには出ていない。ただ『NHKフィレンツェ・ルネサンス』(全六巻)に出ていた。 〈『麗しのかくも甘美にうつくしきデジデリオ』。ラファエッロの父ジョヴァンニ・サンティの『韻文年代記』で こう嘔(うた)われたデジデリオは、(中略)フィレンツェ近郊の石工一族の出で、一四五三年に石工・木工師組合に入会、 一四五七年頃にはサンタ・トリニタ橋の近くに兄とともに工房を構えていた。(中略)代表作は『サクラメントの祭壇』と 『カルロ・マルズッピーニの墓碑』〉 この本がネタ本だな、と森下さんは思った。しかしよく読んでみると、それだけでは説明のつかないことが多い。 まして清水さんという女性は美術史などに全くの素人。疑ってかかれば何もかも胡散臭い。だがそれが作り話で あると断定できる決め手もない。 デジデリオ前世説の謎を解いていくスリリングなプロセス
こうして森下さんはデジデリオ前世説をめぐって「不思議さ」と「疑わしさ」の間でヤジロベエのように
揺れ続け、図書館で専門書をあさり、ルネサンス美術の研究者に教えを請い、ついにはリュックサック一つ
背負ってフィレンツェを訪ねることになるのだ。
(藤田昌司)
|
『有鄰』 郵送購読のおすすめ 1年分の購読料は500円(8%税込)です。有隣堂各店のサービスコーナーでお申込みいただくか、または切手で〒244-8585 横浜市戸塚区品濃町881-16 有隣堂出版部までお送りください。住所・氏名にはふりがなを記入して下さい。 |