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平成12年6月10日 第391号 P4 |
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目次 | |
P1 P2 P3 | ○座談会 横浜はダンスのメッカ (1) (2) (3) |
P4 | ○装丁にみる出版文化 臼田捷治 |
P5 | ○人と作品 垣根涼介と『午前三時のルースター』 藤田昌司 |
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装丁にみる出版文化 時代を映す「鏡」として高まる役割 |
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本を購入する最初の手がかりを提供してくれる装丁 本好きの人間にとって、書店の店頭での新刊本との出会いは、もっとも心ときめくひとときではなかろうか。 その出会いにおいて、いちばん初めに目に飛び込んでくるのがカバーや表紙に、書名と著者名、それに装画装図)など を刷り込んださまざまな装丁である。もしその本を買い求めようとしていたとすると、購入を決断する最初の重要な 手がかりを提供してくれるのが装丁ということになるだろう。 装丁が本の選択肢のすべてということではなく、その後、だれしもパラパラと本文ページをめくって内容を 確かめたりするものである。それでも、最初の契機となる装丁の印象が後を引いて、その内容と響き合っている ことが多い。内容も問題なさそうだが、なにより装丁がとても気に入ったから、一も二もなく買ってしまったと いう経験をお持ちの愛書家も少なくないのではなかろうか。 私の知り合いのベテラン編集者Oさんが以前、本の売れ行きは「タイトル5割に装丁3割、目次2割」だと、 ある雑誌に書いたことがあった。書店の売り場で果たしている装丁の役割の大きさがしのばれる指摘である。
文学においても読者層の変化、それにともなう装丁に対する嗜好の変動が急速に進んでいるひとつの傍証 であろうか。 数年前には「渋谷系文学」の登場として話題を集めた阿部和重の『インディヴィジュアル・プロジェクション』 (装丁・常盤響(ひびき)、新潮社、九七年)が、カバーに若い女性の刺激的な姿態を写した写真を大胆に使って注目 され、文芸書を写真で構成するブームの引き金となった。 「装丁の勝利」と喧伝された『ノルウェイの森』 さらに十年ほどさかのぼれば、村上春樹のベストセラー小説『ノルウェイの森』(講談社、八七年)が、 上巻が深紅、下巻が濃緑のいわゆるクリスマスカラーでまとめた鮮やかな装丁で若い女性層の支持を呼び込んだ。 ちなみにこれは近来めずらしい著者自装で、「装丁の勝利」と喧伝(けんでん)されたものである。
その六年後に服飾デザイナーの中林洋子を起用した同じ中央公論社の全集『世界の歴史』(六〇年〜)と、 続く『世界の文学』(六三年〜)も、瀟洒な装丁で読者の支持を広げ、大ヒットにつながるひとつの要因となった。 装丁には日本人独特の美意識が凝縮 これまで挙げた例はあくまでも代表的なものにすぎないが、このように装丁が時代を追って話題に上り、 関心を寄せられてきた理由として、装丁がそのときどきの文化状況を敏感に映しとる「鏡」のような役割を 演じていることがあげられよう。そして、そこにはいつも日本人独特の美意識が凝縮されていると思われるのである。 古来、日本人は装飾感覚にすぐれ、書籍のような愛すべき小空間の意匠にも並々ならぬ情熱を注いできた。 江戸時代の版本「草双紙」はその代表例だろう。また、書物の構成材である紙などの素材に対しても、鋭い 感性を発揮してきた。 美術家が「もうひとつの絵画作品」として取り組んできた装丁 その豊かな装飾性ともかかわるが、明治時代以降の装丁の主要な担い手が美術家であって、彼らが本を あたかも、「もうひとつの絵画作品」として熱心に取り組んできたことが、日本の近代装丁史の特徴といってよい。 有名な例では、洋画家藤島武二による与謝野晶子の『みだれ髪』(東京新詩社、一九〇一年)とか、版画家で ある橋口五葉による夏目漱石の『我輩ハ猫デアル』(上・中・下、大倉書店・服部書店、〇五〜〇七年)、 日本画家小村雪岱(せったい)による泉鏡花の『日本橋』(千章館、一四年)などの傑作がたちまち想起される。 しかしながら平面の絵画作品と、三次元の物性をそなえる書物とでは、それぞれの空間性に明らかな違いがある。 無定見に美術家の装画を装丁に援用するだけでは、それがどんなにすぐれた作品であっても、しばしば破綻 が生じるものである。くわえて、明治維新以降、大量に招来されたヨーロッパの洋本に見られるシンプルな 造本が、ただ飾り立てるだけの装丁への反省を喚起することとなった。 谷崎潤一郎や室生犀星といった影響力のある文学者が、画家による装丁に激しい批判を浴びせたことも 忘れられない。「本職の画家の考案した装幀で感心したのを見たことがない」と潤一郎はいい、自ら装丁に 手を下すことが少なくなかった。犀星も同様である。 画家による装飾過多の装丁への反省は、戦前にすでに第一書房とか江川書房、野田書房といった特色ある 出版社のシンプルな造本に反映されていた。とはいえ、それは出版界の大勢とはならなかった。青山二郎や 恩地孝四郎のような装丁専門家的存在の活躍があったけれど、戦後も画家による装丁は盛んであった。 画家に頼めばたしかに見映えがよいし、目だつ。食べるものにもこと欠いた困窮をきわめた時代である。 画家の側も、絵が容易に売れないときに、出版にかかわることは生活を維持するうえで欠かせないという 事情もあったろう。 また、画家が小説の挿絵を手がける伝統が健在であったことも、画家と装丁とのつながりを強めた。新聞や 雑誌に連載中に挿絵を担当してもらった小説を単行本として出版するにあたって、版元が当然のように装丁も 依頼するケースが多かったからである。 年配の美術ファンは、挿絵と装丁のふたつで活躍した佐野繁次郎、芹沢■(けい)介(染色工芸家)、鈴木信太郎、 宮本三郎、小磯良平、御正伸(みしょうしん)といった有名美術家をなつかしく思い出されることだろう。 印刷に精通したグラフィックデザイナーが進出 しかし版画家は別として、画家による装丁は六〇年代を境に次第に衰えてゆく。挿絵や装丁を手がけなくても、 時代の落ち着きと高度成長を背景に絵が売れるようになって画家の生活が成り立つようになった。むしろ、 そうした仕事に手を染めることは邪道だという認識さえ広まったのである。現代美術がだんだん純粋化と自立化を 深め、私たちの生活感覚から遊離していったことも作用した。
折からのデザインブームを反映してグラフィックデザインの世界にはすぐれた才能が輩出した。彼らの 強みは装丁に不可欠の印刷に精通していることである。装丁術の基本である活字の扱いにも、彼らはそれぞれの ポリシーを持っていた。 ベテランの原弘を継いで、もうひと回り若い世代からは杉浦康平を筆頭格として、粟津潔、勝井三雄、 清原悦志、平野甲賀、中垣信夫、和田誠といった俊才があいついでデビューした。デザイナーではないが、 同世代では、編集者出身の栃折久美子の活躍も目ざましかった。同時期に発生したアンダーグラウンド、 サブカルチャー系文化をバックに、横尾忠則や宇野亜喜良が登場したことも銘記すべきだろう。 そして七〇年代には戸田ツトムとか菊地信義、羽良多平吉らの次世代が続き、さらに八〇年代以降に入ると 坂川栄治や鈴木成一、祖父江慎といった人気デザイナーたちが加わって多彩な陣容を敷いている。本好きの 方にはこのほかにも好きな装丁デザイナーが何人かおられることと思う。 装丁の魅力は「勝利の方程式」が存在しないこと 装丁の魅力は、長嶋監督ではないが「勝利の方程式」が存在しないことにある。それぞれ異なる本の内容 に即した、個別の解答が装丁には求められるからである。同時に、それと矛盾するようであるが、みんな 違う私たちの顔にも、人類誕生以来の遺伝子が共通して組み込まれているように、本にはそれぞれに知の遺伝子が、 同じように、装丁には「ミューズ(美神)」の遺伝子が折りたたまれている。 そして、すぐれた装丁者ほど、長年つちかわれてきた装丁の歴史に自覚的であり、意識的である。今日 あなたが目にするであろう新刊本のデザインにも、装丁の歴史のひと駒が間違いなく忍び込んでいるはず。 たとえば書名の活字の扱いひとつをとっても、これまで長い時間軸で磨かれてきた装丁術の蓄積が、なんら かの形で反映していることを感じとっていただければ幸いである。 |
うすだ しょうじ |
一九四三年長野県生れ。 |
デザイン・ジャーナリスト。 |
著書『装幀時代』晶文社2,730円(5%税込)。 |