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有鄰


平成12年7月10日  第392号  P5

 目次
P1 P2 P3 ○座談会 昆虫の世界 (1) (2) (3)
P4 ○宣教師ルーミスの横浜からの手紙  岡部一興
P5 ○人と作品  山本一力と『損料屋喜八郎始末控え』        藤田昌司

 人と作品

寛政の「棄捐令」の悲喜劇を背景に描く連作時代小説

山本一力と損料屋喜八郎始末控え
 



  現代に共通する巨大金融業“札差”

 山本一力氏の『損料屋喜八郎始末控え』(文藝春秋)は、松平定信の寛政の改革期における「棄捐(きえん)令」の 悲喜劇を背景にした連作時代小説。「棄捐令」とは寛政元年(一七八九)に実施された札差(ふださし)仕法だ。

山本 一力氏
山本 一力氏
 札差というのは本来、旗本や御家人たちが幕府から支給される切米を売り捌く仲介人だったが、それを 担保にして高利で金を貸す高利貸しになっていた。とくに田沼意次時代のバブル景気で蔵前の札差たちは 飛ぶ鳥も落とす勢い。

 一方、御家人たちは、年利四〇%の高利にあえぎ、二、三年先の切米を担保に追い貸しを求める者も相次いだ。 貸し渋る札差に対し、御家人らは借金強要の助ッ人として食い詰め浪人の“蔵宿師”(くらやどし)を雇い入れ、それに対して 札差たちは自衛上、弁才と胆力のある“対談方”(たいだんかた)を雇い入れた。そうしたなかでおこなわれたのが借金棒引きの 「棄捐令」。
「札差のことを書いたのは、二、三年前にJALの機内誌に頼まれて、旗本相手の巨大金融業“札差”のことなどを 書いたのがきっかけです。調べれば調べるほど、現代に共通するものがあるので、興味をひかれました」

 この連作の主人公・喜八郎は損料屋だ。損料屋というのは貧乏人相手に、夏の蚊帳、冬の炬燵から鍋、釜、 布団まで賃貸しする小商いだが、第一話「万両駕籠」では、米屋(よねや)という小体(こてい)な札差の“にわか番頭”になって登場する。

 米屋は他の札差たちが栄華を競っているなかで、商売の手違いから店仕舞いを考えるほど窮地に陥っている。 そこで米屋の先代の遺言により、喜八郎がその幕引き奉公に登場することになったのだ。じつは喜八郎は、 かつて北町奉行所で米方掛の上席与力・秋山久蔵の一代限りの末席同心だったことがある。そのころ秋山は 北町奉行所の用人の指示で米屋と組んで米相場に手を出して失敗し、損害は米屋がかぶり、それを喜八郎の 不始末として蓋をした。米屋が店を畳むことになったのには、そうした経緯があるのだ。

 米屋の番頭になった喜八郎は有力な札差たちに店を譲り渡す交渉を引き受け、焦げつきそうな客を売り渡し、 札差の株と有利な札旦那だけは残すことに成功する。そしてそのころ、秋山の進言により老中松平定信はひそかに 旗本・御家人の借金を棒引きにする棄捐令を準備、抜き打ち的に発布するのだ。札差にとって驚天動地の騒ぎのなかで、 喜八郎の気働きで米屋の被害は僅少にとどまる。
「喜八郎も、秋山久蔵も私がつくった人物ですが、棄捐令で棄捐された金額は史料に基づいて書いていますし、 ここに登場する笠倉屋、伊勢屋、大口屋、米屋などの札差もすべて実在した業者です。札差たちは総額で百十八万両もの 債権を失いますが、そのなかで米屋だけは千二百両と最も少なかったのも事実。いったい何があったのか。 インサイダー情報でももらったのではないか、というのは私の想像ですが……」

 第二話「騙(かた)り御前」は、窮余の一策で悪知恵を働かせた札差たちが、小芝居の座頭尾上菊之丞を京の公家に 化けさせて、その余剰金五十万両が仕込めると一芝居を打ち、米屋を罠にはめようとする虚々実々の顛末を描く。

 第三話「いわし祝言」は、寛政の改革がもたらした不景気のさなか、札差も一枚噛んだ金貸し座頭や渡世人の 頼母子講に嵌められた実直な料理人の一部始終、第四話「吹かずとも」は、棄捐令による金融恐慌の下でニセ金を 造る工作で札差が仲間を偽計にかける話。いずれも損料屋喜八郎の悪をくじく大活躍で展開していく。

  寛政改革当時の金融・経済の実態を活写

 この作品の特色は、寛政の改革当時の札差を中心とした金融・経済の実態が本筋から末端まで生き生きと 活写されている点だ。
「棄捐金で札差はケチョンケチョンになり、吉原の灯も消えたほどですが、それまでの札差はやりたい放題 でした。ただし、そのやりたい放題のころの札差がやった功績として、粋な文化を育てた点は認めなくては ならないでしょうね。今でいうメセナです」

 損料屋を小説の主人公にしたのも、この作品が“史上初”だろう。損料屋は庶民相手の家具の賃貸屋だが、 「表で損料屋をやり、裏で質屋をやるというように二枚看板の店もあったようです。客は損料屋で借りたものを そのまま裏に廻って質入れするんです」。

 山本氏は平成九年、「蒼龍」でオール讀物新人賞受賞。高知県出身だが、東京・江東区の富岡八幡宮のそばに 住んで七年。つまり、この小説の舞台のど真ん中で生活しているわけだ。それだけに背景の地図にも詳しい。 損料屋はシリーズとして書き続けるというから、これからも楽しみだ。
1,650円(5%税込)。

(藤田昌司)


(敬称略)


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