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平成12年12月10日 第397号 P2 |
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目次 | |
P1 P2 P3 | ○座談会 『星の王子さま』の魅力 (1) (2) (3) |
P4 | ○鏑木清方と金沢の游心庵 八柳サエ |
P5 | ○人と作品 猪瀬直樹と『ピカレスク 太宰治伝』 藤田昌司 |
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座談会 『星の王子さま』の魅力 (2)
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胸にキュンとくるのは毒ヘビに足首をかませるラストシーン
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新井 | 胸にキュンとくるのは、やっぱりラストで毒ヘビに足首をかませる。要するに覚悟の自殺ですよね。そして
自分の星に帰っていく。何で帰っていくかというと、ふるさとの星に残してきた一輪のバラに、自分は責任があると いうことがわかったということでしょう。
つまり、関係を持ったことに対しては責任があるというのは要するに、愛には責任があるということを言いたいわけです。 それがようやくわかった王子さまは決死の覚悟で帰っていく。そこに感ずるものがあるんでしょうね。 最後に主人公が死んだりするのが、日本人は好きなんです。とりわけ何か犠牲的な精神を発揮して帰って行くというのは、 名画といわれる映画の常套ストーリーというか。たとえば『誰がために鐘は鳴る』はゲーリー・クーパーが犠牲的な精神を 持って、彼女を安全な所に行かせ、自分だけとどまる。何かそういうのが好きなんです。 |
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藤田 | ラストシーンのよさですね。 |
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新井 | 王子も格好いいところがあるわけです。彼女のために帰っていく。そこに限りない魅力がありますね。
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小説のテーマは一貫して「旅」
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藤田 | 新井さんは、実作者の立場からみて、引用したくなるような名文がいろいろあるんじゃないでしょうか。
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新井 | 名文のオンパレードですね。砂漠がなぜ美しいんだ。その下に井戸を隠しているからだとか、何かいかにもという、
そういううまい言い回しがとても多いですね。うまい言い回しに余り攪乱されてはいけないというか。 『星の王子さま』のテーマは、放蕩息子のように一たんふるさとを飛び出してきたんだけれど、また帰っていきました という話なんですよ。その構造を頭に入れておく必要がありますね。 |
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藤田 | 自分の星を出て七番目に地球に来て、また自分の星に戻る。その遍歴の旅は変化があって面白いですね。
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山崎 |
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「自分は体験したことしか書けない」
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柳沢 | 死後出版は六冊ありますが、生前にも六冊しか出版していません。『南方郵便機』『夜間飛行』『人間の大地』
『戦う操縦士』『星の王子さま』、最後は『ある人質への手紙』。すべて自分の体験から生まれた作品といえます。 彼は自分は職業作家にはなれない、自分は体験したことしか書けないと言っています。
『星の王子さま』もなぜあんなに奥が深いかというと、たとえば先ほど出た井戸の話ですが、なぜ井戸を隠して いる砂漠がそんなに美しいかというと、彼は本当に砂漠で渇きを知った人なんです。リビアの砂漠に不時着して、 四日間砂漠の中を歩いたり、その前にも、僚友の飛行士を救いに何度も砂漠に出向いています。だから、井戸が とても貴重で美しい。しかも、井戸は五百キロぐらい行かなくちゃ見つからない。たどり着いても涸れていることもある。 そうなると、井戸がどこかにあるということだけで、砂漠全体が希望で輝きます。ですからこの井戸の話も自分の体験から 出ているんですね。 |
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藤田 | 王子さまが自分の星を飛び出す動機はバラとの確執ですか。 |
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柳沢 |
サン = テグジュペリには愛人がおりましたから、コンスエロは何回も別れようとします。しかし、彼は承知しない。 関係を持ったものには責任があるという信念のもとに、別れたかと思うと寄りを戻したりしている。しかしコンスエロに、 家を借りてあげたり、戦時で石炭がないときに石炭を探して、くべてから立ち去ったりと、絶えず彼なりに世話をやいている。 コンスエロの自伝で初めてわかったんですが、サン = テグジュペリは第二次世界大戦に復帰して、アルジェから 手紙を出しています。そこには「君しかいないんだ。そして愛人とのことも、実は君が言った通り間違いだった」と 最後に書いています。 なぜあんなに、バラとのことが身につまされるかというと、やはり実体験を踏まえて愛の葛藤を描いているから、 とても奥が深い。象徴的に抽象的に描いているから、なかなかわかりにくいんですが。 『星の王子さま』は背後に、真に言いたいことを隠しているせいでしょうか、読むほどに新しい発見があります。 |
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伏せられていた妻コンスエロのこと
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柳沢 | コンスエロが書いた自伝も、周りの女性の嫉妬などがあって、ずっと伏せられていたのですが、生誕百年で
いろいろなものが出てきて、あっ、バラはやっぱりコンスエロだと。 |
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新井 | 愛人というのは? |
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柳沢 | ネリー・ド・ヴォギュエという人で、ピエール・シュヴリエという男性の名前でサン = テグジュペリの伝記を
書いています。サン= テグジュペリとは最後の十年付き合いがありました。フランス人はみんな知っています。 彼女が最初にサン = テグジュペリの伝記を書いたのですが、その中ではコンスエロはサン = テグジュペリに 捨てられたように書かれていて、二行ぐらいしか触れられていません。コンスエロは中米のエルサルバドル生まれで、 サン = テグジュペリとは三度目の結婚なんです。当時、サン = テグジュペリの家はカトリックの貴族ですから、 外国人をすごくきらっていた。ですから、サン = テグジュペリの家族も、家族的な付き合いがあったアンドレ・ジッドも、 コンスエロは芳しくないと。 |
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コンスエロをきらう環境がフランスにあった
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柳沢 | ヴォギュエは、今でもみんなが知っているほどのフランスの名門貴族です。実業家で、お金持ちで、しかも
作家だった。 コンスエロについては、今度初めて手書きの原稿が見つかり、公開されました。コンスエロから原稿を預かった 人が、コンスエロをきらう環境がフランスに延々と続いたので、公開をためらっていたと自伝の最初に書いています。 コンスエロは一九七九年に亡くなりましたが、彼女の自伝および伝記は、封印されてきたコンスエロ側の真実に光を 当てるものだと思います。 |
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山崎 | ヴォギュエさんは九十何歳で、健在です。 |
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藤田 | コンスエロは、『星の王子さま』に出てくるバラのように、非常に美しいけれど、驕慢な女性だったんでしょう、山崎先生。
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山崎 | 会ったことがないから(笑)。サン = テグジュペリびいきだと彼女を悪くいうでしょうしね。フレデリック・ダゲーという人は
「あいつ」という口調でいうほど、反感を持っている。一族が反感を持っています。ただ、サン = テグジュペリの お母さんは最後まで嫁を弁護しています。
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バラの花は祖国フランスの比喩
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柳沢 | バラの花、即コンスエロと考えられていますが、必ずしもそうではなく、自分のわずかなトゲを振りかざして、
トラであるナチスと戦おうとするフランスの比喩だと山崎先生のご著書にありましたね。 |
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山崎 | 柳沢先生には怒られるかもしれませんが、先生のご本では、そういう時事的問題は余り関係ないと書いておられますが、
私は、奥さんだけと限定するのは違うと思いますね。 |
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柳沢 | バラが、読む人によっては、帰るべきフランスであってもいいと思います。ただし、サン =
テグジュペリが コンスエロにあてた手紙には「バラは君だ。君に捧げなかったことを後悔している」と書いてあります。レオン・ウェルトに 捧げたのは、愛人たちに対する遠慮でしょう。彼は自分の弱さゆえだと言っております。
しかし『星の王子さま』を鑑賞するのに、必ずしも私生活を考慮しなければならないというものでもない。 キツネやバラがしゃべったりと、象徴的に描いてあるわけですから、読む人によってフランスであったり、時事的な ものが関連していたりしていいと思うんです。 |
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バラに対する忠実な気持ちもテーマ
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柳沢 |
私は『こころで読む「星の王子さま」』を書き終わったあとで、余りにもキツネの言葉と王子さまにとらわれ過ぎて いたのではないかという気がしたんです。子どもと大人の関係だけじゃなく、もう一つ、バラとのことがあると思って、 読み直してみたら二十七章のうち十三章でバラについて触れていたんです。 それで、大人と子どもの関係を子どもの目から見た現代批判のテーマと、バラに対する自分の忠実な気持ちから、 バラに責任があるからバラの元へ帰っていかなくてはいけない、という二つのテーマがあると改めて感じたんです。 |
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新井 | それはサン = テグジュペリの巧妙さですね。ユダヤ人の友人レオン・ウェルトに捧げているわけですね。随分年上の
忘れられた作家で、捧げられたために、生き残ったかもしれないような運命の人です。レオン・ウェルトに献辞を 書いたために、バラ=祖国フランスという要素が非常に濃くなった。
で、おっしゃるように、バラはコンスエロに決まっていますよ。献辞は、愛する妻コンスエロに捧ぐと書いたら、 『星の王子さま』はすごくわかりやすい話なのに、そう書かなかった。最後の最後に献辞を書くときにきっと サン= テグジュペリは誰に捧げようかと逡巡したんでしょうね。 自然な着地の仕方はコンスエロですよ。随分悪いことをしたなという贖罪の気持ちがあって、ここでかみさんに ちょっと謝っておかないと、まずいよな、という。 |
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藤田 | いかにも実作者らしい見方ですね。 |
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一筋縄ではいかない作家的な精神が
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山崎 | ただ、それにも輪がついて、もう一つあった。つまり『星の王子さま』を書いているころ、ほかにもシルビア・ハミルトンと
いう恋人がいて、彼女の家に行ってあれを書いたりしている。 ネリー・ド・ヴォギュエは生涯の伴侶で、サルトルとボーボアールみたいにくっついたり離れたりしている。 死ぬ前日に書いた手紙は彼女あてです。みんなXへと書いて今まで出版されています。だからレオン・ウェルトも、 コンスエロもシルビアも、ある一つに特定したのでは、彼のずるさが消えてしまう。 |
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新井 | やっぱりずるいと思われますか。 |
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山崎 | 思いますね。 |
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新井 | ぼくは、ずるいという言葉がちょっとはばかられたので、巧妙という言い方をしたんですけどね。(笑)
だから、なおさら正妻であるコンスエロに、一行献辞をしておけば、かなりのことは払拭されるのに、最後の最後に そうしなかった。 レオン・ウェルトのほうはびっくりしたでしょうね。今ごろ墓場の下で、何でおれが献辞されるんだろうってね。 読者もそういう気持ちがありますよ。でも、レオン・ウェルト=祖国、ナチス・ドイツに占領されている今の祖国 フランスという要素が非常に強くなった。そこを計算しなかったわけがない。 帰っていく星は、バラの花であると同時に、祖国フランスという、その要素が非常に大きかった。そこに今 言われたずるさ、巧妙さ、サン= テグジュペリの一筋縄ではいかない作家的な精神がある。 |
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女性関係もかいくぐって自分の神話をつくる
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新井 | そんなにサン = テグジュペリはもてたんですか。 |
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山崎 | コンスエロの思い出でも、相当ひっちゃかめっちゃかな人ですよね、だらしないし。女性にもだらしなかったようです。
ところが、書いているものが『夜間飛行』など、まるで軍隊調の世界を描くわけです。 だから、落差があるんだけれど、巧みにそこをかいくぐって、一つの自分の神話みたいにつくっていける素地を つくった人ですね。みんなあとは乗せられて、サン = テグジュペリというと、英雄だというふうになるんですけど。 |
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柳沢 | サン = テグジュペリ夫妻がアメリカで借りていた別荘を、コンスエロが「星の王子さまの家」と名付けて、
そこで『星の王子さま』は書き始められますが、半分ぐらい書いたところで、二人はまたけんか別れをしてしまったらしい。 コンスエロは南仏のオペードで、芸術家たちと集まってドイツに対するレジスタンスをやっていたんですが、亡命 していたサン = テグジュペリに初めて呼ばれ、ニューヨークに行く。十一か月も離れていたから『星の王子さま』を 書き始めたころは、二人は仲がよかったんですけれど。 サン = テグジュペリのその別荘にアンドレ・モーロワとか、いろんな有名人が行きますが、みんなそれを目にして いる。ところが、気性の激しい同士なので、やがてまたけんかをして、やはり愛人であるアメリカ人のシルビア・ハミルトンの 所で後半は書いたといわれています。 |
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山崎 | ただ、コンスエロはシュールレアリストと非常に関係があって、アンドレ・ブルトンやドニ・ド・ルージュモンとも
怪しいとか、どっちもどっちなところがあるみたいですよ。 |
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写真のポーズを気にするナルシスト
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藤田 | 今のお話ですと、サン = テグジュペリは非常に恋多き男だったようですが、しかし、彼自身は自分を非常に
醜男だと思っていたということですが。 |
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山崎 | 自分でも書いています。 |
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柳沢 | 鼻が出ているので、月刺し槍とか、あだ名されたんですね。鼻がツンと天井を向いているからでしょう。幼少の
ころのその思い出から、自分は醜男だと思うようになったんじゃないでしょうか。 それで、コンスエロと知り合ったときに、コンスエロを初めて飛行機に乗せるんですが、そのときに自分にキスを してくれとサン = テグジュペリが言うんです。初めて会った人にそんなことはしないと言ったら、サン= テグジュペリが、 それは自分が醜男だからだろうと言って、真珠のような涙がネクタイにポロポロと落ちたと。それで私は心が優しくなって キスをしたと、コンスエロが書いています。 |