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平成13年4月10日 第401号 P5 |
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目次 | |
P1 | ○なぜ横浜県ではなく神奈川県なのか 樋口雄一 |
P2 P3 P4 | ○座談会 海へのロマン (1) (2) (3) |
P5 | ○人と作品 磯貝勝太郎と『司馬遼太郎の風音』 藤田昌司 |
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人と作品 |
作家的原風景を明らかにした評伝 磯貝勝太郎と『司馬遼太郎の風音』 |
鬱懐を基盤に構築された広大な作品世界 司馬遼太郎逝って五年。この国民的作家の人気は少しも衰えを見せず、今も関連書の出版が相次いでいる。そうした中で 文芸評論家・磯貝勝太郎氏の『司馬遼太郎の風音』(NHK出版)は、これまで開示されることのなかったその作家的原風景を 明らかにし、最も注目すべき評伝といえよう。「司馬さんの処女作品集『白い歓喜天』を読んだ時、この作家は随分鬱懐(うつかい)の人 だなあと思ったのですが、後に、司馬さんにお会いしてうかがうと〈小学校のころから、僕は人間として生まれないで、猿にでも 生まれたほうがよかったと思っていました〉と言われたので驚いてしまいました」
ではなぜ、猿にでも生まれたほうがよかったと思い込むような鬱懐を抱くに至ったのか。小学生のころ学校嫌い となったためだ。ではなぜ、学校嫌いになったのか。〈授業中、いつもイマジネーションをはたらかせ、想像の 世界にはいりこんで、先生が何を言っているのか、わからなく〉なってしまったからだ。 想像力の対象となったものはいろいろあるが、例えば石の鏃(やじり)だ。少年時代に住んだ竹内街道の界隈で、鏃は いくらでも発見された。司馬少年もヤジリ病にかかってしまい、千個も集めた。こんなに軽くて箸置きぐらいの 重さもない鏃で、鹿やうさぎの毛皮をつらぬくことができたのだろうか。その先に毒薬でも塗っていたのだろうか。 限りなく空想にふけり、その結果、授業についていけず通学するのがいやになったというわけだ。 中学に進学する段になっても、入学試験のない私立を選んだ。中学時代、こんなエピソードがある。英語の教師に ニューヨークという地名の意味を質問すると、「地名に意味があるか!」とどなられ、「おまえなんかは卒業まで 保たんぞ」とののしられた。そこで図書館に行って司書の人に調べてもらうと、現在のマンハッタンあたりは、 かつてオランダの植民地で、ニューアムステルダムと呼ばれていたが、英国に占領されてから、当時の英国国王の弟 ヨーク公の名前にちなんで、ニューヨークと改められたのだとわかる。以来学校嫌いがこうじ、図書館が好きになる。 〈司馬氏は鬱懐のつよい作家であった。それゆえに、その広大な作品世界は、作者の鬱懐が基盤となって構築されて いる〉と、磯貝氏は指摘するのだ。 辺境史観の原点は幼少時代を過ごした故郷・奈良の風土
ところで司馬文学にはもう一つの原風景がある。それは幼少時代を過ごした故郷の風土だ。「司馬さんの故郷というと、
大阪と思われがちですが、じつは奈良なんです。生まれたのは大阪の浪速区ということになっていますが、母親が脚気を
わずらったために乳の出が悪かったので、河村家という奈良の母方の実家(現在の北葛城郡當麻町竹内)で生まれ、
小学校に入るまで竹内街道沿いの、その家で育ったんです」〈春四月になると、竹内(たけのうち)街道にそって建つ旧家、河村家の
裏の広い畑が、黄色い菜(な)の花で、おおいつくされる。/その花ごしに、すりばち状の大和盆地がひろがり、はるかかなたに
香具(かぐ)山、畝傍(うねび)山、耳成(みみなし)山の大和三山が陽炎(かげろう)のように揺曳(ようえい)し、盆地に夕霞(ゆうがすみ)がこめると、淡い海のような夕靄(ゆうもや)のなかに、
小島のごとくたゆたう。/司馬少年はこの風景を、河村家の裏の菜の花畑から見下ろすのが大好きであった。〉
(藤田昌司)
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