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平成13年7月10日 第404号 P5 |
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目次 | |
P1 | ○鵠沼の東屋旅館と芥川龍之介 佐江衆一 |
P2 P3 P4 | ○座談会 熊田千佳慕の世界 (1) (2) (3) |
P5 | ○人と作品 桐原良光と『井上ひさし伝』 藤田昌司 |
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人と作品 |
”客観報道”の姿勢で作家の実像に迫った 桐原良光と『井上ひさし伝』 |
やさしい言葉で哲学を語る人 井上ひさしは奇才である。鬼才であるともいえよう。かつて「ひょっこりひょうたん島」で子どもから大人までテレビに釘づけにしたのをはじめ『ブンとフン』『モッキンポット師の後始末』『日本亭主図鑑』『しみじみ日本・乃木大将』『吉里吉里人』……などの 戯曲、小説によって諷刺の利いた爆笑を日本中に触発した。近著『東京セブンローズ』も戦中戦後を描いた諷刺小説として傑作だ。
桐原氏は毎日新聞学芸部編集委員。文壇担当二十七年に及ぶベテラン記者だ。「“評伝”ではなく“伝”です」というとおり、本書は数回にわたる井上ひさしとのインタビューをはじめ、幼少から今日にいたるまでの周辺の人びと(離婚した前夫人も含めて)の談話、 そして井上自身の作品などを博引旁証し、新聞記者らしい“客観報道”の姿勢で一貫、読者・観客の目線の高さで、この作家の実像を追っていく。 周知のように、井上ひさしは山形県米沢市に近い小松町(現川西町)で薬局を営む小地主の家に生まれたが、幼時父が死去。母が後を継いで戦中戦後を切り抜けたものの、その母が地方廻りの浪曲師にだまされて有り金を持ち逃げされ、一家は男を追って岩手県へ。 食うことがカツカツの暮らしの中で、ひさし少年は仙台のカトリックの孤児院に収容される。同院から高校に通い、受洗し、奨学金を得て上智大学文学部に入学するのだが、たちまち生活費が底をつき、岩手県に戻り、国立釜石療養所事務員として学費を蓄えた後、上智大に復学。 間もなく浅草フランス座という軽演劇場でアルバイトをするようになる。本書はここから始まる。 苦しさをユーモアで切り抜け、権威に“笑い”で対抗 「第一章 浅草フランス座がぼくの先生だった」。〈ひさしは金が欲しかった。なんとしても、とにかく金が欲しかった〉という書き出しが、象徴的だ。井上ひさしのユーモアの背景には、こうした幼少時代からの苦境があった、と桐原氏は見る。「苦しさをユーモアで切り抜ける。弱者が生きる道を 考えた結果、そうなったということでしょうね。東京に出てくればズーズー弁。子どもの頃は友だちのいじめに遭う。時にはお母さんも攻撃した。普通ならヤクザになるのかグレて当たり前の環境です。それをひさしさんはユーモアで切り抜けた。ガキ大将、校長、町内会長といった権威に“笑い”で 対抗することを考え出したんです」「ところで、ひさしさんがどういう勉強をしたのかは、あまり突っ込んで聞きませんでしたが、高校時代から映画をよく見ていたことは事実ですね。このために成績が下がってしまったほどです。一つの回答は、ひさしさんは“生きたテープレコーダー”だということ じゃないでしょうか。見てきた映画、芝居、何でもみんな克明にノートに取って暗記しているんです」 奇才の陰に努力ありというわけだが、井上作品が人の心をつかむのは“顔で笑って心で泣いて”という一面があるからかもしれない。しかしそれだけに井上ひさしという作家は“反権力的”でもある。それは「ひょっこりひょうたん島」があれほどの人気にもかかわらず郵政省を戯画化したという理由で 突然打ち切られたことや、『吉里吉里人』が東北に独立国を作り上げるという構想を見ても明らかだ。「反権力志向はひさしさんの“血”でしょうね。お父さんは文学青年だった人ですが、戦前の青年共産同盟員で、東京の学校を出て帰郷すると、一人で農地解放をやってしまった。母親は大戦中、“この 戦争は負け戦ですね”などと公言して警察に引っぱられ、スパイ扱いされたそうです」 著者について付言すれば、父・桐原真二氏は、かつて六大学野球全盛時代の慶応の有名遊撃手で、東京ドーム内の「野球殿堂」入りしている名選手だったが、氏が幼少の頃にフィリピンで戦死した。井上ひさしに惹かれるゆえんの一つも、ここにあるという。 2,520円(5%税込)。 (藤田昌司)
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