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■『有鄰』最新号 | ■『有鄰』バックナンバーインデックス |
平成15年6月10日 第427号 P4 |
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目次 | |
P1 P2 P3 | ○座談会 小島烏水と版画コレクション (1) (2) (3) |
P4 | ○大自然の愛・母の愛 鮫島純子 |
P5 | ○人と作品 前田速夫と『異界歴程』 藤田昌司 |
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大自然の愛・母の愛 |
鮫島純子 |
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夫の療養の日々を楽しませようと描き始めた絵
それと申しますのも彼の療養の日々を楽しませようと、街で見かけたものを描いて見せました絵がそのまま本の内容なのですから……。文章もイラストも特別勉強したわけではないだけに、広く世の中の方々にご披露したいなど思ってみたこともございませんでした。 第一作目『あのころ、今、これから…』は夫が骨折のため安静を要し、外界から遮断されました平成10年の一時期、外で見かけた風俗を話したりするうち、より分かりやすい様に「描いたほうが……」と手許に貯めてありました障子張りの残紙に描いて見せましたのが始まりでした。私達戦前派からみれば奇抜な現代のファッション。それらを描いた悪戯書きをみながら、「昔はそんなじゃなかったね」とか申します夫のコトバにつられ、「昔はこうね」と語り合いながら何時の間にか今昔比較の絵巻物風が何巻も出来あがりました。
ある方にお贈りしたところご令息がご勤務先のNHKから放送して下さいました。その結果、多くの方々からご注文がありました。嬉しい悲鳴ですがコピーの実費だけご負担頂いても値が張ります。いっそのこと自費出版したら簡単にご要望に応えられるかしらと思うようになりました。そうこうするうち、夫は亡くなりました。悔やみに見えた方のお口利きで、小学館とご縁を頂き、出版の運びとなりました。 こんな経緯で一作目は世に出て行きました。存じ上げない方からも「ほのぼのとして心が癒される。」「疲れた時に開いてはホッとする。」「温かいタッチに幼い日を思い出し胸がキュンとする。」などのお便りで、お役に立つ喜びを覚え、胸いっぱいになりました。 神や自然との調和を大切にする日本のこころ 実は骨折の癒えたあと、夫は食道癌即手術の診断を下されました。85歳「充分人生を楽しませて貰いました。同期の友人達も大方先に逝きました。」と手術も入院も投薬も希望せず、今まで通りの生活を続け、新緑溢れる青森の温泉、紅葉輝く京都へと家族旅行を楽しみ、暑さを避けての山篭りの後、誠に静かに世を去りました。 心身ともご指導を頂いたドクターから、この穏やかで好ましい自然死の実例を世の中に披露するようお勧めが再三あり、日頃からのご指導にしたがっての健康管理とともに絵入りでご紹介することになりました。 これが計らずも二作目『毎日が、いきいき、すこやか』でございます。私達と似たようなこの世の卒業間近の方々が如何に「さよなら」まで健康で生活できるか、そして苦しまずに落ち着いて自然に卒業できるかを参考にしようと座右に置いて真似され、お友達にもプレゼントされているとお手紙をいただきます。 そして次は小学館から、日本の年中行事を描くようお勧めがありました。歳時記的なものはそれぞれの専門家の方がキチッとご研究の上、数多く出されているので、浅学非才の者が出る幕ではないとたじろぎました。
順を追って描き進むうち、先祖たちが大事に守り伝えてきた行事の大半は稲作を通して太陽、月、雨、風、火すべて大自然を司る大きな力に対する畏敬と感謝から始まるものだと気が付きました。それらを神様と呼ぶか、或いはもっと身近の祖先神ととらえるか、宇宙の意志に沿わない道に外れたことをすればお姿は見えなくとも罰が当たると自らを律してきた先祖たちの素朴で素直なこころを感じました。 狩猟を生きる手段として獲物に立ち向かった民族の役目もあるのでしょうが、日本の歴史は相当早くから「豊葦原瑞穂の国」と宣言して、植物の種を蒔き育て、海の幸を神の恵みとして感謝の上採集して生きてきました。つまり挑戦し勝ち取るのでなく、あくまで天の恵みとして有り難く頂く、天との調和を大切にする血が流れている行事だと想い当たりました。そんな環境で連綿と四季のしきたりを引き継いできたはずですが、いまや形だけになって心を忘れてはいないだろうか。家が狭くなって、或いは引越しばかり余儀なくさせられてと現代事情はさまざまですが、せめて行事発祥の心をおもいだす絆としての小さな象徴をかざって「神と人との調和、神への感謝をその月毎に思い起こしては」と心が昂揚してまいりました。編集の方も共感の上こうして『忘れないで季節のしきたり日本の心』が誕生いたしました。 「本当によいお仕事をなさいましたね。後世に残していきたい日本のしきたりです。」と皇后様からもお言葉を頂戴いたしました。 一頁一頁思い出されたご自分の幼い頃のお話をレターペーパー何枚もしたため、「つい夢中になりまして…」と弁解と共に手紙を書いて下さる方が二、三人ではありません。それらの方々の文面には亡きお母様への追慕があふれ「折り紙の粗末なお内裏様だったけれど」とか「山に母と折りに行ったお月見の薄(すすき)の」とか、目の届くところで自分達を何時も気遣ってくれている母の愛に包まれている幼子の安堵感が伝わって参ります。
戦後は、苦労なくバーゲンセールで安直に手にはいるので、手間暇かけて編み直しなんて馬鹿らしくなりました。家までローンで買う時代は身の程を弁(わきま)えず、豊かさを先取りできます。誰だって載ってしまい返済の為に幼児さえ保育所に預け、少年は鍵っ子、働きに出た母親は結構外気にふれて何事もないときは楽しい味をおぼえます。 職場の責任と主婦業の両立が難しくなると、心のゆとりを失い、笑顔もでないほど疲れ、季節のしきたりどころか「二人で作った子の育児は平等の責任!」と、仕事に没頭する夫へのイライラが募ります。粗末でもたとえ手際が悪くとも母の手作りに囲まれ、学校から帰って、ランドセルを放り投げ飛び出しても「おかえり!」で迎えてくれた母のいる家は温かかったとお手紙を沢山いただきました。季節のしきたりと母親はやはり切っても切れないゆとりの源泉らしうございます。 大自然・母の愛を心に刷り込むことが平和な社会を創る核 戦禍をくぐって三児を育て、夫を見送り八十の坂を越え、今確信を持って言えること、それは「この世に生まれてきたと言うことは、この世で愛の練習をさせて頂いていたのだ」ということです。どの位思いやりが深くなったか! どの位ものごとに動揺しなくなったか! 他人との比較でなく自分しかわかりません。少しでも汚してレベルダウンしないように、少しでもレベルアップするように心してこの世にさよならしたいものです。 出世する、賞を得る、金持ちになる、有名になる、家を建てる、人生の目的をその辺に置くとお棺にはいる直前になって、きっと虚しさを感じるに違い有りません。これらは付録に過ぎません。 若い頃に今ほどの心境になれば、随分気分は楽だったことでしょう。身辺に起きることすべては、思いやりを育ててもらう応用問題、或いは永遠の魂の歴史の中で自分の遣り残した宿題をやるべく促されているのかもしれません。少しでも高いハードルを跳べる心境になった今、トライを促して貰っていると受け取れれば、焦ったり、悩まなかったでしょう。若い方々にお伝えして、こころのゆとりをもって身辺に起きたことを受け止めて下さいと申し上げなくてはと思います。 世界平和への貢献などと言うと何か身近でない錯覚を起こしますが、乳飲み子から年寄りまで、誰でも心が平安で思いやりの溢れた心を持つことが、やがて世界の平和につながります。自然に対する感謝のこころから始まる季節のしきたりのこころを子と共にして、大自然の愛、母の愛を幼い日の思い出として心に刷り込んでいけること、それが平和社会を創る核のように思うこのごろです。 |
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鮫島純子 (さめじま すみこ) |
1922年生まれ。 |
著書『あのころ、今、これから…』小学館 1,680円(5%税込)、『毎日が、いきいき、すこやか』小学館 1,680円(5%税込)、『忘れないで季節のしきたり日本の心』小学館 1,680円(5%税込)。 |
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