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平成17年3月10日 第448号 P4 |
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○座談会 | P1 | 中華料理と横浜中華街 (1)
(2) (3) /林康弘/伊藤泉美/藤田昌司/松信裕 |
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○特集 | P4 | 伝えたい日本古典文学の魅力 ツベタナ・クリステワ | |
○人と作品 | P5 | 福井晴敏と『6ステイン』 |
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伝えたい日本古典文学の魅力 ツベタナ・クリステワ |
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ツベタナ・クリステワ氏 |
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◇『とはずがたり』をブルガリア語に翻訳 |
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この12年の間、十二単の多様なかさね色のように、喜びの日々もあれば、「むばたまの闇」のような絶望の瞬間もありました。 しかし、どんなに辛い時でも、頼りになってくれたのは日本の古典文学です。 その「言の葉」には莫大なエネルギーが潜んでいます。 初恋の作品は『とはずがたり』でした。 作品にも、人間と同じようにそれぞれ違う運命があるのかな、と考えさせられるほど、不思議な運命を持っている仮名日記です。 作者・後深草院二条(久我雅忠女[こがまさただのむすめ]とも)の人生の35年間を照らし出したこの回想記は、描写された期間の長さをはじめとして、あらゆる意味でユニークな作品です。 『伊勢物語』の「或る男」や光源氏などにみられるように、王朝文化において、一人の男が数人の女と恋の契りを交わすことは普通でしたが、『とはずがたり』の女主人公(作者)は、同時に数人の男と関係を持った、例外の女です。 しかし、「問わずに」語り続ける彼女の声をよく聞くと、頼りになってくれる、たった一人の男を求めていたのではないかと思われます。 そして、自分にとってそんな男になるはずだった後深草院はあまりにも期待はずれだったので、「死ぬばかり悲しき」気持ちが募っていったことは容易に想像されます。 『とはずがたり』の最後に二条は、自分の日記が「後の形見とまでは、おぼえ侍らぬ」と書いていますが、その言葉には正反対の意味、「なからん後の形見になってほしい」という意味が籠められているに違いありません。 しかし、『とはずがたり』は、長年にわたって、誰にも知られず、誰からも「問われない」存在となってしまいました。 1305、6年に書かれたと思われるこの作品の写本が1940年に発見され、10年後にようやく出版されて公開されましたが、その後も、社会や文学などの規準から大分逸脱している『とはずがたり』の運命は、決して簡単ではありませんでした。 私が『とはずがたり』に出会ったのは大学時代でした。 モスクワ大学に日本文学を勉強しに行った私は、現代文学を専攻するつもりでした。 古典は興味がなかったのです。 しかし、ある日、突然、古典文学の先生から「あなたにぴったりのテーマと作品がありますよ。」と声をかけられ、研究室に行くと、『とはずがたり』のことを教えていただいたのです。 大学卒業後、日本の大学に留学したのは1980年でした。 そのとき、『とはずがたり』を勉強していることを言うと、「やめた方がいい。 源氏にしなさい。」というアドバイスを度々いただき、冷たい水を浴びせられたかのような気持ちになりました。 どうやら当時、『とはずがたり』はまだあまり人気がなかったようです。 悔しくて、空しくて、二条ではなく、私自身が無視されているかのような感じでした。 もちろん、熱心な支持者もいました。 そのうちの一人、当時、国文学研究資料館教授の福田秀一先生のご指導のもとに、大学時代に始めた翻訳の仕事を進めることができました。 1年間の留学を終えてブルガリアに戻った私を待ち受けていたのは、孤独でした。 日本学科もまだなく、古典文学どころか現代文学の翻訳も二つしかなかったのです。 そこで、『とはずがたり』を日本古典文学の紹介の出発点にすることを誓いました。 翻訳のサンプルを持って最も大きな出版社を訪ねると、編集者はサンプルを見ようともせずに、「現代文学ならいいけど、古典文学は、売れるはずはない。」と言いました。 問わずに流れ出した涙を抑えながら、外に飛び出すと、私たちの話を黙って聞いていた見知らぬ女性が追いかけてきて、サンプルを読んでみたいと言ってくれました。 その女性は別の出版社の編集者でした。 サンプルを渡してから2日後の朝、電話があり、「昔の日本人が書いたものだと思えないほど、今のブルガリア人の読者に感動を与えられる作品です。」と。 その言葉は、一生忘れられません。 その年、1981年の終わりに出版されたブルガリア語訳『とはずがたり』の読者の数は、私の予想、いや期待さえはるかに超えました。 4万部という、当時の900万人弱の人口にしてみれば、けっこう多い発行部数でしたが、信じられないほど短い期間に売り切れました。 ちなみに、当時、翻訳家に印税はありませんでした。 もらったのは僅かな原稿料だけです。 でも、幸せでした。 『とはずがたり』が認められたのですから! タイミングも、成功の理由の一つだったに違いありません。 当時のブルガリアは、ある意味で、鎖国状態でした。 信頼できないメディアの代わりに、翻訳の本などが「外」の世界についての情報のチャンネルになっていたのです。 初めてのものは最もインパクトが強いからでしょうか、『とはずがたり』は、さまざまな人の間で話題になりました。 もちろん、反応は、ナイーブなコメントから深い分析まで、読者の教育や知識などに対応して、違ってはいましたが、すべての読者に二つの共通点がありました。 そしてその二つが私の研究の刺激にも目的にもなりました。 まず、誰からも決まって最初に聞かされた言葉は、「あなたの二条に感動した。」ということでした。 感動しすぎて『とはずがたり』の続きを書いた人さえいました。 もう一つは、絶え間なく流れる涙と、どんなに濡れても濡れきらない袖に対しての驚きでした。 「昔の日本人は、どうしてあれほど泣いていたのでしょう。 それに、あの袖は、タオルのような生地ででもできていたのでしょうか。」と度々聞かされ、友人たちからは、挨拶代わりに、「今日のあなたの袖は、涙に濡れているのでしょうか。」と言われたりしました。 しかし、少しずつ、こうした冗談の裏に大変重要な問題が潜んでいることに気付き始めました。 確かに、妖しいです。 露、時雨など、数多くの比喩を持っている涙も、変わった形をしている異常にひろい袖も。 しかも、不思議なことに、あれほど涙がたくさんあるのに、作品は「お涙ちょうだい。」の安っぽいメロドラマにはなっていません。 感動と「袖の涙」。 どちらも日本の古典文学に欠かせないものですが、あるいは、だからこそ、当たり前になっているからこそ、見えなくなったのではないでしょうか。 こうした「当たり前」について私に気づかせてくれたブルガリア人の読者に対しては、感謝の気持ちでいっぱいです。 10年以上も、ブルガリアで研究を続けていたからでしょうか、いい意味でも、悪い意味でも日本の研究に影響されることなく、私の関心は日本の歴史を知らない人たちにも感動を与えられる「言の葉」そのものに集中しました。
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◇「袖の涙」の謎に挑戦した『涙の詩学』 |
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12年前、久しぶりに日本に戻ったとき、研究のギャップを痛感しました。 しかし、『とはずがたり』の翻訳を試みて以来、ずっと心のなかに響きつづけていた「我が袖の涙言問へほととぎすかかる思ひの有明の空」という歌を頼りにして「袖の涙」の謎の解読に挑戦してみることにしました。 「あはれてふ言の葉ごとに置く露は昔を恋ふる涙なりけり」《あわれという言の葉に置く露、すなわち、あわれを表す言の葉としての「露」は、木の葉に置く露とは違って、昔を恋しく思う「涙」のことだったのだ》などの歌が丁寧に教えてくれているように、同じ言葉でも、日常語としての意味と歌ことばとしての意味が違うのです。 また、普通の会話に使われている日常語も、人間の考え方、生活様式などの変化に対応して、意味が少しずつ変わっていくのですが、時代の価値観、世界観などを反映している「言の葉」の場合は、なおさらでしょう。 比喩的に言えば、「言の葉」にも、人間と同じように、寿命というものがあります。 歌人たちの共通の約束として誕生して、美しい花を咲かせながら成長していき、そして、ついに陳腐な句となって死んでしまうのです。 それゆえ、同じ歌ことばでも、たとえば『古今集』の時代と『新古今集』の時代に詠まれた意味は違うはずです。 このような立場に基づいて、『万葉集』を参考にして、『古今集』から『新古今集』まで、平安時代の八つの勅撰集(八代集)のなかに、「袖の涙」をあらわす表現の展開を辿ってみることにしました。
不思議の国のアリスが自分の流した涙の池に溺れそうになったのと同様に、私も古典文学の「涙の川」に溺れそうでした。 日本古典文学を特徴づける「感動の効果」は、普段、英語のempathyの訳、感情移入力という用語で説明されています。 しかし、「他人に自分の感情を移し入れる」ことを意味しているこの用語は、物足りなく感じられます。 日本古典文学の感動は、感情の移入というよりも、感情の共有になっているからです。 こうした不思議な感動の効果を、私に気づかせてくれたのは、『とはずがたり』の次に試みた『枕草子』のブルガリア語訳に対する読者の反応です。 『枕草子』の発行部数も4万部にのぼり、ベストセラーになりました。 しかし、二つの作品の読者層には興味深い差異が現れました。 『枕草子』が『とはずがたり』より歓迎され、抜群に高い評価を得たのは、詩人、画家、演出家など芸術作品を造っている人たちからでした。 あらゆる創作の刺激になりました。 やはりまたも読者から大事なことを教えてもらいました。 『枕草子』は創造過程の快楽を覚えさせてくれることで、読者の想像力と創造力に働きかけているのです。 これこそ、感動の根源なのではないでしょうか。 最近、日本で最もよく使われている言葉の一つは、国際化です。 この国際化のため、日本文学教育が周縁へ追いやられ、国文学科が国際文化学科になる例が増えているようです。
「自分の文化に関心を持たなければ、外国の文化を評価できるものか。」と強く反発していた私は、近頃少し落ち着きました。 理由は今、勤めている大学です。
英語や外国文化の教育が他の大学より盛んに行われているこの大学では、日本文化や文学に深い関心を持ち、感動している学生が少なくありません。
他国の文化と接触したからこそ、心を優しく包み込み、和ませてくれる言の葉の世界を求めるようになったのではないかと思います。 |
Tzvetana Kristeva (ツベタナ・クリステワ) |
1954年ブルガリア生まれ。 国際基督教大学教授。 日本古典文学専攻。 著書『涙の詩学 (王朝文化の詩的言語)』 名古屋大学出版会 5,775円(5%税込) ほか。 |
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