■『有鄰』最新号 | ■『有鄰』バックナンバーインデックス |
平成11年8月10日 第381号 P4 |
|
|
目次 | |
P1 P2 P3 | ○座談会 占領下の横浜 (1) (2) (3) |
P4 | ○ちょっと変わったトンボたち 刈部治記 |
P5 | ○人と作品 島村匠と『芳年冥府彷徨』 藤田昌司 |
|
ちょっと変わったトンボたち |
|
|
北海道まで北上リレー
夏の甲子園高校野球の中継に、時時、 黄色っぽいトンボの群れがゆらゆら飛んでいる姿が映ることがある。 これが「ウスバキトンボ」で、世界中に広く分布する種である。 幅広い翅を持ち、強い移動性を持っている。日本でも夏には普通に見られるが、実は、 このトンボの幼虫(ヤゴ)は耐寒性が低く、一定の温度以下になると、死滅してしまう。 日本でこの種が冬越しできるのは南西諸島の一部に限られており、夏に各地で見られるものは、 その春に南方を出発した個体の北上リレーの結果なのである。 その生活史を見てみると、だいたい以下のようになる。 春先、南方から北上を始める。越冬地で羽化したものが移動を始めるのであるが、もちろん、 移動せずに発生地に止まるものもいる。 例えば八重山を出発点とすると到着地は奄美大島あたりかもしれないが、そこで交尾、産卵をする。 幼虫はきわめて成長が早く、産卵から羽化まで一か月ほどしかかからない。 またプールなどでも生活できるので、各所で大量に発生できる。 こうして数を増やした個体群は、さらに北上する。 次は、九州や四国南部で発生する。 続いて中国地方や関西……と繰り返して、最終的には北海道にまで達してしまうのである。 神奈川県内では五月ごろに最初の飛来個体が到着するが、目立ち始めるのはお盆過ぎである。 しかし、最初にふれたように、この種の幼虫は耐寒性が低い。 いくら大量発生して北上しても結局冬には死滅してしまう。 毎年繰り返される一見無駄なように思える彼らの行動であるが、このバイタリティーこそが、 世界中を制覇した理由の一つだろう。 那須や日光へ避暑に出かける
ところで、同じようなことを考える昆虫もいるもので、六月ころ平地で生まれ、 だんだんと標高の高い場所に移動し、夏の暑い時期を山で過ごし、 秋になると里に下りてくるという理想的な生活を送るトンボがいる。 そのうちの一種は、「アキアカネ」という、もっともポピュラーなアカトンボで、 平地の水田をおもな生息地にしている。 秋になると都会でもよく見られる種類で、子供のころ、 学校の校庭や近所の空き地にできた水溜りに産卵している姿を見かけたことがあるだろう。 さて、卵で冬を越し、春先に孵化した幼虫は六月ころ羽化する。 羽化してしばらくは色も薄い茶色で弱々しい。羽化後は山地をめざす。 関東ならば、例えば那須や日光などの避暑地で、八月ころ、ものすごい数の成虫を見ることができる。 「山でアカトンボを見た」といえば、たいていアキアカネのことである。
もう一種は、「ミヤマサナエ」というサナエトンボの仲間で、名前からすると山の住人のようであるが、 幼虫が生息しているのは平地の川である。神奈川県では酒匂川水系や相模川水系に普通に生息している。 わりあい水質汚染にも強い種である。 この種は初夏に羽化し、やはり、山地に移動する。アキアカネと同じような場所で見かけることが多いが、 こちらはそれほど数をみることはない。アキアカネよりは早く、八月から九月ころには平地の河川に戻り、 生殖活動をおこなう。 ところで、この種は名前のように、最初、避暑中の山地のものしか見つからず、 しばらく生活史が不明であった。 わかってしまえば、前述のように平地の河川が生息地で、 山で見つかるのは成熟するまでの過程であったわけだが、 それまでサナエトンボの仲間で、これほどの大移動をおこなう種が知られていなかったことも災いして、 解明が遅れた。例外のない生物はないということを改めて思い知らせてくれる。 成虫で越冬するのは3種だけ
ところが、日本産二〇〇種あまりのトンボの中で三種だけだが、 成虫で越冬するという変わった方法を選択したものがいる。 「ホソミイトトンボ」「オツネントンボ」「ホソミオツネントンボ」で、 後二者はその越冬(越年)にちなんだ和名がつけられている。 これらの種類は水田や湿地に生息していて、晩秋から越冬態勢に入る。 春先の生殖活動時期に水辺で見つかるほかは、おもに雑木林の林縁などの日当たりのよい場所で、 枝先に止まっている姿を見かける。冬季の越冬生態についてはほとんど知見がないが、 樹皮下にいたものや、地上に近い植物の枯れ枝などに静止していたという観察例がある。 降雪時もほぼそのままの態勢でがんばるらしい。
彼らの越冬の様子は、決して楽なようには見えないが、それぞれの種が、 かなり普通に見られる種であることを考えると、自然界の成功者なのだろう。 定着には至らない遇産種 日本で記録されている種類の中には、これまでただ一度の記録しかなかったり、 偶発的に見つかる種類がある。いずれも日本には定着していないと考えられ、 一般に「偶産種」「飛来種」などと呼ばれている。これらには大きくわけて二つのパターンがある。 (1)南方から飛来すると考えられる種類で、台風の後などに多く見られる。 おもに太平洋岸で見られる「オオギンヤンマ」「ハネビロトンボ」など。 (2)大陸から飛来すると考えられる種類で、大陸からの秋の季節風にのってやって くる。おもに日本海側で見られる「タイリクアキアカネ」「オナガアカネ」など。 彼らの消長は不安定で(だからこそ「偶産種」なのだが)、ある年には何百頭もの飛来があったのに、 翌年には同じ場所で一頭も見られないこともよくある。 飛来の多かった年には、交尾・産卵が見られることも稀ではないが、 翌年の発生をみることはめったにないし、あったとしても数年で終息してしまう。 これらの種類はだいたいが海岸沿いの開けた池に飛来し、日本にも何か所か、 偶産種の飛来の多い、名所のようなところが存在する。 ところで、南方からの偶産種が越冬できないのはなんとなく理解できるが、興味深いのは、 大陸からの偶産種が、うまく定着できないことである。気候的にそれほどの差がなさそうなのに (少なくとも越冬できないような物理的障害は考えにくい)、結局、定着には至らない。 いつまでも偶産種でいるにはなんらかの理由がありそうであるが、今のところはよくわからない。 さらに、同じグループの種でも、片や何百キロも移動するのに、 もう一種はまったく移動のそぶりさえ見せない例が日本にもある。 例えば、南西諸島には「オオギンヤンマ」と 「リュウキュウギンヤンマ」という大型のギンヤンマがいるが、 前者が日本本土各地に飛来するのに対して、後者はいまだに分布拡大のそぶりさえみせない。 「ハネビロトンボ」と「ヒメハネビロトンボ」の関係にも同じことがいえる。 こうなると、「偶産種」は単に台風や季節風に吹き飛ばされてやってくるのではなく (そういうことも稀にはあるであろうが)、むしろ、 能動的・積極的な移動を試みているような気がしてならない。 トンボに本当のところを聞いてみたいものだが……。] これまで、いくつか紹介してきたように、身近に思えるトンボたちにもさまざまな横顔がある。 日本のように自然の調査が進んでいる国でも、ようやく各種のおおまかな分布がわかってきたところで、 その生態については、いまだにほとんどわかっていないといっても過言ではない。 しかし、環境破壊のスピードはあまりに速い。 すでに、日本全国に数か所の発生地しか残されていない種類もでてきている。 はたして、われわれの孫の世代にこの国の自然の断片でも伝えていくことができるのだろうか。 不安が大きい。ひとりでも多くの方にトンボたちの生き様に興味を持っていただけたらと思う。 |
かるべ はるき |
一九六六年横浜生まれ。 |
神奈川県立生命の星・地球博物館学芸員。 |
著書『地球と生きもの85話』(共著)有隣堂1,050円(5%税込) ほか。 |