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平成13年10月10日 第407号 P4 |
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目次 | |
P1 P2 P3 | ○座談会 鎌倉仏教と蒙古襲来 (1) (2) (3) |
P4 | ○路面電車復興の時代 今尾恵介 |
P5 | ○人と作品 塩澤実信と『本は死なず』 藤田昌司 |
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路面電車復興の時代 |
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一九六〇年代後半から廃止されていった日本の路面電車
この時代、一九六〇年代の後半から日本全国から急速に路面電車が廃止されていった。理由は簡単に言えば「自動車の邪魔になるから」である。自動車こそ近代的−路面電車は時代遅れ、という図式に疑問をさしはさむ人はあまりいなかったようだ。当時の自動車の増え方は実に激しく、次々にバイパスや新道を つくっても追いつかなかった。そこで、それまで禁止されていた路面電車の軌道内を自動車に解禁する政策が全国各都市で進められたのである。 軌道をクルマたちに占領された電車は定刻通りに走れなくなり、必然的にお客を減らしていく。すると交通局の財政は苦しくなり、本数は間引かれ、乗務員は減らされ、ますます不便になってお客が減るという悪循環に陥るのである。ついには路線が部分廃止され始め、都市の総合的交通ネットワークであることを 放棄した市電はお客をますます失い、最終的には全廃、というのが全国的に繰り広げられてきたシナリオであった。 そして今、「邪魔者」は駆逐されてクルマ最優先の社会が実現した。しかし果たしてそれは祝福すべき状況なのだろうか。なるほど大都市には立派な高速道路が縦横に走り、郊外の県道もだだっ広い四車線になった。電車の方はといえば地下と高架に空間を求め、実に大量の旅客輸送を日夜担っている。 再評価されるバリアフリーと低公害の進化した路面電車 そんな社会に路面電車の出番など今さらないかのように思えるが、最近になって路面電車見直し議論が盛んだ。どうしてだろう。路面電車に郷愁を感じる人や鉄道ファンに向けての本が数多く出回っているのも確かだが、昨今の再評価はちょっと出所が違う。「バリアフリーと低公害」がその中心なのだ。それは低成長時代に 入って行き詰まり感が増した日本の都市交通の状況を背景に、八〇年代ごろからの欧米での「進化した路面電車」つまりLRT(ライト・レイル・トランジット=軽量軌道系交通システム)の成功が徐々に知られてきたことが原因だろう。
逆に従来型の日本の路面電車の短所は次のようなところが指摘されてきた。まず「遅い」が筆頭だ。まず停止時間が長いことだ。道路にはただでさえ信号が多いのに、電車の場合は線路がセンター寄りにあるため左折の際も自動車を通し終わってからということになる。またワンマン運転だと乗客の運賃支払いに時間がかかるため 乗降時間が長引く。右折車が電車の進路を妨げることも少なくない。そんなわけで路線によっては「所要時間のうち半分が信号待ちと乗降時間」といった状況が珍しくないのである。 この他、日本の多くの都市では電車が一両だけで乗客定員が少ないため、運転士一人あたりの輸送量が少なく経済効率が悪いという点も無視できない。さらに道路上の停留所(安全地帯)が一般に狭すぎて危険であり、また車椅子が利用できないなどの問題点も加わってくる。これでは多少運賃が安くても魅力的な交通機関とはならないはずである。 しかし、先に挙げた長所をそのままに、これらの短所を改善したらどうだろう。その改良された交通システムとして注目を集めているのが欧米で八〇年代ごろから台頭してきた進化した路面電車−LRTなのである。 ドイツ中西部、フランス国境に接してザールブリュッケンという都市がある。ここはかつてザール炭田の中心都市として発展したところだ。日本と同様に戦後の石炭産業の斜陽で人口が減少したが、自動車の数は高度成長に伴って飛躍的に伸びた。しかしその反面で市内および近郊に広い路線網をもっていた路面電車は乗客が落ち込み、やはり自動車の邪魔者とされて 結局は一九六五年に全廃されてしまったのである。 都心からそのまま乗り入れる郊外では一〇〇キロで快走 しかし約三〇年ぶりの一九九七年、この町に洗練されたデザインの新しい三両連結の路面電車が走り始めたのである。路線は既存の主要道路の上に敷設されたが、自動車の車線を半分召し上げ、路面電車専用軌道とした。地域の交通を総合的に研究し、路面電車に人の流れを誘導すれば、たとえ道路の容量が減っても交通がスムーズになると判断した結果だ。電車はドイツ鉄道線(旧国鉄)に 乗り入れて郊外を走り、さらに隣国フランスのサルゲミーヌ市まで運転されている。
乗客からは非常に好評で、将来はザールラント州の各地へ向けて新路線(既存のドイツ鉄道線や廃線跡も利用)が数多く計画されており、多くの近郊都市へ都心の商店街からまっすぐ快速路面電車で達することができるようになるはずだ。隣のバーデン=ヴュルテンベルク州カールスルーエ市はこの方式の先輩格で、近郊鉄道乗り入れ路面電車は大成功を収め、世界各国から視察が絶えない状況が続いている。 先ほどの「日本の路面電車の短所」を思い出してみよう。まず信号待ちや乗降時間の長さによる「遅さ」については、ドイツではほぼ絶対的な電車優先信号が数多く設置されているため、電車はほとんど信号待ちすることはないし、乗降時間については「信用乗車」であるため多数のドアから乗降が一気にでき、地下鉄並みの効率の良さが実現されている。 信用乗車方式とは、乗客があらかじめ自販機で切符を買い、運転士はこれをチェックしない方式だ。ただし抜き打ちで検札者が乗り込み、切符不所持は理由の如何にかかわらず高額の反則金を徴収される。「自己責任」の定着した欧米では常識だが、これがスピードアップに大きく貢献しているのである。 また、乗車定員については何両も連結した電車で輸送量を増やし、経済効率を高めている。もちろん信用乗車なので車掌を乗せずに長編成にできるのだ。また停留所の安全性の問題は、日本のように一交通局が苦労して道路占有や土地買収の苦労をしなくても都市計画と一体化してその整備が進められているため、十分安全な幅をもった停留所を最適な場所に確保することができる。 それに加えて線路の整備は社会のインフラとして公的機関が建設することが多く、また自動車のガソリン税などを財源とした手厚い補助金のシステムが使えるので、電車の運営会社は(交通局であっても)新鋭の低床車を積極的に導入する財政的余裕ができ、バリアフリー度を一気に高めて魅力的な交通機関とすることができるのである。 路面電車による公共交通機関を充実させる政策 以上、挙げてみると路面電車の彼我の違いの大きさを改めて認識せざるを得ないが、ただ「地球に優しいから乗ってくれ」と呼びかけてみても、まず路面電車が市民に不可欠な社会資本であるという認識をみんなが共有し、独立採算性に喘ぐ既存の路面電車を取り巻くカネの流れを変えさせなければ、誰もが乗りたい魅力的な交通機関は作れないのではないか。もちろん日本にも広島電鉄のように私企業ながら最新鋭の低床車を 導入するなど積極的に路面電車を走らせている例もある。しかし根本的に都市交通を考えるなら、市民がより良い交通システムを思い描き、それを実現する社会的なシステムを変えていくことが重要だ。 日本では「大都市の大量輸送交通機関といえば地下鉄」というのが常識とされてきた。しかし地下鉄は建設費が一キロ当たり数百億円にものぼり、低成長時代にあっては財政負担が大きすぎる。これがLRTなら地下鉄の数分の一から一割程度で建設できるのだ。また、単純に到達時間からいっても、地下深い駅まで延々と降りて行き、さらに下車してからも地上まで延々と移動を強いられる地下鉄よりも、都心の数駅分なら路面で 乗降できる路面電車の方が速い。 都市中心部への自動車の流入を規制し、主に路面電車による公共交通機関を充実させるという交通政策は、西ヨーロッパではほぼ常識になりつつあるし、アメリカでも毎年どこかでLRTが新規開業するなど、確実に市民権を得てきている。従来の発想を変えれば、LRTが最適な都市は日本にもたくさんあるはずだ。横浜でも、既存の鉄道網を補完するLRT網が実現すれば、市内の交通は見違えるように便利になるかもしれない。 |
いまお けいすけ |
一九五九年横浜生れ。 |
管楽器専門誌編集者を経て現在、 地図・地名・鉄道関係を手がけるフリーライター。 (財)日本地図センター評議員。著書『路面電車』ちくま新書714円(5%税込)、 『地図の遊び方』新潮Oh!文庫570円(5%税込)、ほか多数。 |