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平成13年11月10日 第408号 P2 |
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目次 | |
P1 P2 P3 | ○「ハリー・ポッター」人気の秘密 (1) (2) (3) |
P4 | ○J・S・エルドリッジ ヘンリー・タイナー |
P5 | ○人と作品 諸田 玲子と『笠 雲』 藤田昌司 |
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座談会 「ハリー・ポッター」人気の秘密 (2)
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藤田 | ローリングさんには、お会いになったことはあるんですか。 |
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松岡 | 三回あります。 |
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藤田 | ローリングさんご自身、非常にドラマのある方ですね。 |
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松岡 | はい。コーヒー店の片隅で書いたということが、この本のキャッチフレーズになっているようです。確かに、離婚して、まだ生後何か月という女の子を抱えて、妹のいるエジンバラにポルトガルから戻ってきた。
当時のイギリスは、シングルマザーに対して就職の機会がなかったし、今まで構想を温めて書きためてきた『ハリー・ポッターと賢者の石』を、今、書かなければ一生書けないんじゃないかという決意のもとにペンをとったわけです。 そうすると、働けないわけですから、当然生活保護を受けなきゃいけない。ただ、イギリスの生活保護は、割に気軽に受けるところがあり、日本ほど深刻に受け取られないし、それほど長く生活保護を受けたわけではないと聞いています。ただ、そういう赤貧の中で、「書かなければ」という燃えるような意志で書いたことは確かだと思います。 |
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電車の中で突然、頭の中に現れたハリー・ポッター
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藤田 | この小説の構想は電車の中でふと思いついたそうですね。 |
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松岡 | そうですね。イギリスの汽車はよく止まるそうですが、ロンドンに戻る途中、汽車が止まったときに、ハリー・ポッターが突然、自分の頭の中に現れたそうです。
ふっと、と言っても、小さいときから作家になりたくてずうっと書いていたということですし、読書好きだったお母さんの影響もあって、彼女も小さいときから読書好きだった。イギリスの児童文学の伝統も身についていたし、古典とフランス語を勉強したという教養、そういうものが全部重なってふっとイメージがわいたのが二十五歳のとき。 同じ二十五歳のときに最愛のお母さんを亡くし、それがまた一つの引き金になって、ポルトガルに英語の教師として出向く。その間『ハリー・ポッターと賢者の石』を書きため、本格的に書き始めるのが離婚後のエジンバラです。 |
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口コミで自然発生的にベストセラーに
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藤田 | あわやさんの印象はどうでした。 |
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あわや | 大学のアメリカ人の同僚から、「あなた、ハリー・ポッター読んでないの」って言われたのが最初です。彼女は、十三歳の娘に薦められて読み始めたところ、家族中で夢中になってしまい、気がついたら、もうクリスマス休みが終わっていたというんです。
でも、私は書評者としては非常に疑い深くて、ベストセラーは読まないと決めてかかっているんです。今までベストセラーの書評を頼まれて、さんざん書いてきましたが、いつも皮肉ってばかりいました。これは現代の出版状況に対する批判でもあるんですが「うまく仕組まれたベストセラー」という気がするものですから。 実はハリー・ポッターも、書評を頼まれて読み始めたのですが、これが面白く、不覚にも(?!)、ぐいぐい引き込まれてしまった。すごくひねた入り口でして……。 |
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藤田 | ベストセラーは、最近は仕掛け人がいて、例えば大きな広告を出して、一方で配本は少なくしてハングリーマーケットにして市場を騒がせて売る。そういう意図的につくり上げたベストセラーが多いんですが、ハリー・ポッターの場合は、口コミで自然発生的にベストセラーになった本ですね。
そして一度ベストセラーになってしまうと、熱狂的なブームになって、第三巻の『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』は、初版八十万部だそうですね。 |
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松岡 | 八十万部の後にすぐ二十万部を足しましたから、ほとんど百万部ですね。 |
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藤田 | 普通は、子供の本は大体三千部ぐらいといわれているんです。 |
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楽しいと思った感情が一番こもった言葉で翻訳
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藤田 | ただ、これは私は子供の本だと思って出してはいません。ISBN(図書)コードも一般書で出していますが、取次さんが児童書扱いなんです。もちろんイギリスでも、アメリカでも児童書扱いです。児童書分野でのベストセラーリストは日本では出ないので、最初は、いくら売れても、ベストセラーのリストに出なかったんです。
ただ、J・K・ローリングも子供のために書いたつもりはないと言っていますし、私も子供に照準を合わせた訳はしておりませんので、大人の人たちの読書にたえるようにはなっていると思います。 |
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藤田 | 原著そのものが決して子供向けの本ではないということですが、翻訳も、大人の鑑賞にたえるようにしていらっしゃる。
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松岡 |
小学校四年生以上が習うような漢字には全部ルビをふりました。しかもルビがうるさくならないように、見開きのページの一番最初に出てくるものにルビをふり、後のほうに出てきたものは、同じページを見ればどこかに書いてあるというような工夫はしました。 |
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藤田 | 私は、読み終えたこの本を、中学生の孫にやったんです。すると孫娘は夢中になって読んでいて、時々ため息をついている、と娘が言うんです。
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松岡 | そうですね。はまっちゃうんですね。 |
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藤田 | 子供たちだけでなく、広い年齢層の読者にこれほど受けている秘密をどんなふうにお感じになりますか。
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あわや | やはり圧倒的に豊かな子供観があるからなんじゃないでしょうか。子供というものを作者が見る目自体が非常に豊かですね。映像的だとか、スピード感のある描写とかということが随分言われていますが、それが一体何を背景に生まれたものなのかということなんです。
とかく、大人が子供という決まりきった概念を持ったときに子供の本とはこういうものだと決めつけてしまう。 私は『子ども学』という研究誌の編集委員をやりながら子供の問題を考えてきて、やっぱりそういう感じがあったんです。大人のもつ貧困な子供観ゆえに、でき上がってくるものが、いわゆる平坦な子供本になってしまう。 それを覆すような圧倒的に豊かな子供観を著者のローリングさんは持っていたんじゃないでしょうか。 |
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大人の心の中に眠っている創造力が揺さぶられる
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松岡 | J・K・ローリングは「面白ければ子供は本を読むものだ」と言った。その言葉が証明されるように、子供は豊かな感性と読書力を持っていることを、改めてこのハリー・ポッターのブームで私は認識したんです。
子供の感性を豊かに反映したような本を、なぜ私が翻訳できるのか不思議に思っていると質問されるんですが、私の心の中に、昔、本の虫で児童書を読みあさっていた子供がいます。つまり、普遍的な想像の泉というか、人間の柔らかい感性の部分というか、それをこの本が掘り起こしてくれる。 児童感覚というか、『果てしない物語』の言葉を使うのであればエンデの幼心の君というか、そういう心が、子供の心の中には特に強く、大人の心の中にも何となく忘れ去られて眠っているものが揺さぶられる。そういう想像力の豊かさ、今、あわや先生が、圧倒的な子供観と言われたのと同じ意味のものが眠っていると思うんです。 それで、子供はこういうものであるという大人の考え方が間違っていることが証明されたと思います。私の講演会に来る人も、愛読者カードを送ってくる人も、友の会のクイズなどに答えてくる子供たちも、完全にこの本を消化していますし、大人よりも鋭い読み方をしています。 例えば一巻と三巻の訳の違いを指摘してくるのは子供です。ですから本当に子供は読書力があるというか、特に言葉を超えて内容に突っ込んでいく感性があると思います。 J・K・ローリングは、自分はそういう子供の心を持っていて、十一歳の子供時代にすぐに返ることができると言っているんです。その心を持って書いた。大人の目で見たんじゃない、子供の豊かな目のままで書いたところがあると思います。 |
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藤田 | キャラクターが何と言っても魅力的じゃないかと思いますね。子供の心を捉える本は主人公がかわいそうじゃないといけない。もう一つは、魔法使いであるという奇想天外さですね。
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松岡 | そうなんですね。人物設定は、私がこの本の五つの魅力と言っている中の一つですが、誰もが、「私はこの人が好き、この人はどうなるんだろう」と追いかけたくなるような人物がたくさん散りばめられている。
ハリー・ポッターの魅力は今言われたように、かわいそうな孤児ということもあると思うんです。J・K・ローリングに、なぜ孤児にしたかという質問が寄せられた。彼女の答えに、「親や社会に抑えつけられている子供ではなくて、そういうものが取り外されたときの子供のほうが描きやすかった」ということがあるんです。 ですから、かわいそうという設定と共に、親がいない状況の中で、子供はどんなふうに自立して判断していくかということも一つの大きな要素になっていると思いますね。 それと、魔法使いであること。子供たちは、大人の社会の中にあって、まだ力が弱い者であるのに魔法によってたちまち大人をしのぐような力が与えられる。つまりハリーがいたダーズリー家の人たちを脅すような力を得るのも、胸のすくような話だと思うんです。 それから冒険のワクワク。『十五少年漂流記』や『ジャングル・ブック』もそうですが、冒険の要素も魔法と絡んで出てくるのがハリーの魅力になっていると思います。 |
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自分と他者との関わりが魅力的
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あわや | もちろんキャラクターの魅力はすごくありますが、その底に流れるものは多分、人と人との関わりだと思うんです。これも現代への批判になってくると思うんですが、大きな魅力のポイントは人間関係、いや失礼、魔法使い関係(笑)というか、つまり、キャラクターの自分と他者との関わりが非常に魅力的なんです。
児童文学の陥りやすいパターンは、私の言葉で言うと、異文化のステレオタイプの中ですべてが死んじゃう。つまり、魔法使いは魔法使いらしく、悪者は悪者らしく、善良な人は善良らしく、ディテールに至らないまま、結局話が完結してしまうんですが、このハリー・ポッターに関して言えば、それが全くない。 例えば仲間うちですね。ハリーと仲良し三人組のロンとかハーマイオニーの中でも、信頼関係はあるけれど、ちょっとした猜疑心があったり、こんちくしょうと思ったりする。ダイナミックな自分と他者との関わりというか、冷ややかでない関わり。だから悪と思われるものがひっくり返ったり善と思われるものがひっくり返ったりする。 それからハリー・ポッターは、自分がいじめられて苦労しているから、人を信頼する気持ちもたっぷりあるけれども、いってみれば、批判力もある子なんです。 だから、そういう意味では昔の、いわゆる“かわいそうな子供”とは全然違ったキャラクターだと思う。人間的な複雑さみたいなものが常に見え隠れする。それが私には魅力的でした。 つまり、うそがない、リアリティーを感じる。それを、読む子供たちが非常に鋭く察知してしまうんですね。すごく夢中になる大きな原因じゃないでしょうか。 |
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藤田 | そうですね。それが抽象論ではなくて、具体的なドラマとして、物語として展開していく、そのスリル、面白さがあると思いますね。
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松岡 | キャラクターは、つくりものではないという実在感、存在感がありますね。ガリ勉の女の子のハーマイオニーなんか、私の子供のころとそっくりです。
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愛とロマンと反省が
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あわや | やはり悪をしっかり書くことがポイントだと思います。だから善も悪も生き生きしていて、もしかしたら悪が善になるかもしれない。
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藤田 | 悪と言っても、我々の日常の中にあるもので、それほどの悪じゃない。 |
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あわや | そうなんです。ですから、いわゆる勧善懲悪の話とは違うんです。かわいいなと思うのは、主人公もそれ以外の人たちも、反省があって、そこが非常に人間的で、リアリティーがある。愛とロマンと反省があるんですね。愛とロマンがある本というのはよくあるんですが。
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松岡 | 児童文学の典型である善と悪との対立というものを踏まえながら、その悪が結構強くてハラハラして、ハリーの命が本当になくなるのではないかと思う場面もあり、巻が進むに従って、この悪の力がますます強くなる。そういう誇張された形ではありますが、非常に現実を映した物語だと思います。
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登場人物の背後にある作者の構想力のすごさ
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松岡 | 子供のキャラクターが生き生きしていることと関係しますが、J・K・ローリングの頭の中には、一人一人の登場人物の生まれてから小説に登場するまでの姿が全部できあがっているそうです。彼女はそれだけの構想力を持って書いているんです。
それと同じように、出てくる魔法動物にしても、クィディッチというサッカーに似たスポーツのことにしても、それだけで一つの本が書けるほどの構想力を持って書いているわけです。 |
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藤田 | そうですね。キャラクターの魅力の背後にある作者の壮大な構想力がやっぱり一番の魅力でしょうね。
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松岡 | 最初に震えがくるほどの世界をのぞいたというのは、構想力のすごさだったんでしょうね。
本当にそれぞれの人生が、巻を追うごとにだんだん明らかになっていくのが、これがまたこたえられない魅力なんです。 ハリー自身の生い立ちの謎も、第一巻では単に謎のままなのが、第二巻で少し明らかになり、第三巻、第四巻と、ますます明らかになる。同時に、周囲のロン、ハーマイオニーのことも明らかになる。それから、魔法薬の先生で、なぜかハリーのことを憎んでいるスネイプの過去も非常に怪しいものがあり、これからの展開が楽しみです。 |