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平成11年9月10日 第382号 P2 |
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目次 | |
P1 P2 P3 | ○座談会 箱根温泉と湯治 (1) (2) (3) |
P4 | ○現代ガラス 武田厚 |
P5 | ○人と作品 小林恭二と『父』 藤田昌司 |
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座談会 箱根温泉と湯治 (2)
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大木 |
酸性のガスが出ているところはどこですか。 第Ⅰ帯の噴気地帯です。大涌谷、早雲山、湯ノ花沢で、地下一~二キロの所で分離した酸性ガスが、火道を上昇してきて噴出しているのです。そのガスが周辺の地下水に溶け込み、酸化されて酸性泉になっているのです。 |
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岩崎 | 姥子(うばこ)温泉はそうですか。 |
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大木 |
第Ⅱ帯の中性の温泉は炭酸物質に富み、箱根カルデラの深層地下水で、芦ノ湖の水と深い関係をもっています。 第Ⅳ帯は、第Ⅱと第Ⅲが混じりあった温泉で、湯本、塔之沢、大平台、堂ヶ島、宮ノ下、木賀などに湧出しています。 伊豆・箱根では昔から「富士山の見えるところに温泉はない」といわれています。冷たい地下水を押しのけて地下から上昇してくる温泉は、上から抑えつけている地下水層の薄い、つまり、じゃま物のない谷底に湧き出だしやすいのです。谷底からは富士山は見えません。 |
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岩崎 | 宮ノ下とか底倉とか早川渓谷沿いに温泉が湧き出てくるというのは、そういうことなんですね。 |
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活断層に沿って湧き出る非火山性の温泉
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編集部 | 箱根のような火山性の温泉のほかに、どのような温泉があるのでしょうか。 |
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大木 | 温泉は、産状によって火山性と非火山性にわけられます。古くからある日本の温泉の大半は火山性です。非火山性の温泉には、深層地下水型と化石海水型がありますが、最近、非火山性温泉のいろいろのタイプのものが開発されるようになりました。
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編集部 | どういうタイプの温泉ですか。 |
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大木 | 先ほどいいましたように日本列島の下には海洋プレートが沈み込んでいます。そのプレートの表面の海底には、海水を十分吸収して形成された粘土鉱物が地層としてたまっています。それが、下へ潜り込んでいって、深さ三、四十キロに達すると温度が二、三百度にもなり、粘土鉱物が脱水反応を起こします。この脱水反応でできた水が断層の割れ目を通って上に出てくるのです。そういう成因の温泉もあることがわかってきました。上に水を通さない厚い粘土の層が数百~数千メートルたまっていて地層の圧力で押されているから、このような温泉の水圧は著しく高くなり、山頂でも温泉が自噴しています。
こういう温泉は、地下千~千五百メートルという深い所に貯留されています。紀伊半島の温泉とか常磐炭鉱の跡の常磐温泉などは、こういう温泉ではないかと指摘され始めました。 新潟では山の頂上に温泉を掘っています。箱根からみたら考えられないことですが、新潟では、石油や天然ガスなどを伴った化石海水が、脱水反応でできた水と混じりあって、深さ数キロの所に温度が二、三百度の熱水となって貯留されています。そこに地殻変動によって断層が形成されると、その断層に沿って温泉が湧き出てきます。 |
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七沢など丹沢山地の温泉はpHが高いアルカリ性泉
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編集部 | 七沢もそういう種類の温泉ですか。 |
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大木 |
昭和四十年に、神奈川県がリハビリテーション病院をつくることになって、初め箱根や湯河原に温泉病院を考えました。当時は、国際的な温泉観光地に病院は適さないという考えが強く、協力を得られませんでした。そこで七沢に白羽の矢がたてられた。七沢や飯山、広沢寺は昔から鉱泉として知られていましたが、いずれも温泉の規定を満たしていませんでした。そこで温泉地学研究所が温泉探査を命じられ、五百メートルの掘削で、お湯が出てきました。当初は毎分九〇リットルの温泉が自噴しました。この温泉はpH10の高いアルカリ性泉で、入ると肌がツルツルします。丹沢の中川温泉もpH10ぐらいです。炭酸ガスの含有量が非常に少ない所で、火成岩と水が反応してできる温泉です。丹沢山地の温泉の特徴です。 |
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編集部 | 火山性の温泉以外にもいろいろあるんですね。 |
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中村 | 温泉の定義は温泉法という法律で決められています。それによると、温泉とは地中から湧出する温水、鉱水及び水蒸気その他のガスで、温度が二十五度C以上か、あるいは二十五度以下でも、ある特定の物質を一つ含んでいればいいということになっている。その基準が非常に緩やかなんです。ですから、今の技術で深く掘れば、たいてい温泉が出てきます。
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大木 | ベルツが日本に初めて来たときに、温泉で一番驚いたのは草津です。先ほどもいいましたように、草津温泉はpH1~2の酸性泉で、しかも温度が五十度に近い。人間がふつう入浴できないような高温の酸性泉に入り、「病気が治った」と言うのでベルツは驚き、初めは信じられなかった。ところが、いろいろな皮膚病に効いているのを目の当たりにして、酸性泉の研究を自分の主要命題としてやらなければいけないと考えるようになりました。ベルツが好きだった箱根にも酸性泉が湧出しているので、箱根に温泉療養所をつくろうとした。
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中村 | ベルツはドイツでも非常に将来を嘱望されていた医者ですが、明治九年に二十代で東京医学校(後の東京大学医学部)教授として招かれ、二十九年間、日本に滞在しています。日本の温泉、とくに草津、伊香保、箱根、熱海に興味をもちました。
ベルツから見ると日本ではヨーロッパとは大変違う温泉の利用の仕方をしていた。しかし、温泉を医療目的に使うためには、当時の日本人の入り方ではだめなんで、ただお湯に入るだけではなくて、もっと総合的に、 つまり、運動訓練施設や保養施設をつくったり、医者の統一的な医学的管理のもとに、温泉を利用できるような施設をつくらなければいけない、ということを強調した。 箱根には、大木先生がおっしゃったように、いろんな温泉が湧いてますが、ベルツは高原の温泉に非常に関心を持っていました。ヨーロッパではスイスのダボスが、とくに結核の高原療養所として、当時、有名だったんです。 |
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日本では百年早かったベルツの温泉療法
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中村 | 草津も高原ですが、広々とした箱根の大涌谷一帯に、高原性の気候と温泉を利用して、医師の指導のもとにスポーツ施設なども取り入れた温泉療養所をつくろうと、ベルツは明治二十年に建白書を政府に出しています。それに対して政府は、いわゆる政府の言い方で、「前向きに検討します」と返事をした。
ベルツはその返事に、大変乗り気になって、広い範囲の土地が手にはいれば、そういうものを自分で設計し、私費をつぎ込んで整備をしてもいい、ということまで建白書に書いています。ところがなかなか話は進みませんでした。結局、彼は失望して帰国しています。 彼が考えていたのは、今でいうリハビリテーションというか、もっと広い範囲で、保養と治療とリハビリテーションを兼ねた治療施設です。ですからベルツの考えは、日本では百年早かったということでしょうか。 現在、私が勤めている七沢の病院では、温泉の利用度は少ないですが、ベルツが考えていたような総合的な治療と訓練と保養の場が、何とかできているのではないかと思います。今また、そういう温泉治療が見直されています。 |
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ヨーロッパは非火山性の中性でぬるい温泉
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中村 | ヨーロッパの温泉は日本のような強い酸性のものはなく、炭酸ガスを含んだものが多いので、飲んでもヒリヒリしないんです。当時のヨーロッパでは飲泉療法が主流でした。
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大木 | 入浴を主とする日本の火山性温泉の利用と、そうでないヨーロッパの温泉利用と基本的に違うところです。 箱根の大部分の温泉が中性であるように、火山性の温泉でも中性はあります。ヨーロッパと日本の温泉の大きな違いは、日本には酸性の火山性温泉が多いことです。つまり、活火山がある所の温泉が多いということです。 |
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中村 | 中部ヨーロッパには活火山が少ないですね。イタリア半島は活火山のある代表的な所で、温泉が多いから古代ローマ人は温泉に入るのが好きだった。
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大木 | イタリアには酸性泉がたくさんあります。 |
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中村 | 古代ローマ帝国は今のフランスやドイツ、イギリスなどヨーロッパの半分ぐらいを征服しますが、そこで温泉資源を開発して保養や療養のために温泉を利用した。それで、フランスやドイツには温泉利用が随分伝えられた。あるいは、そのために温泉医学が近代になって、また復興したという面があります。
しかしフランスやドイツ、イギリスには火山性の温泉はないので、あまり温度の高い温泉はないんです。一般にヨーロッパ人はぬる湯好きといわれます。熱い湯の湧く温泉がないから、自然とそうなったんだろうと思います。 |
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医者の統制のもとに医療目的で温泉に入るヨーロッパ
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中村 | フランス、ドイツあたりでは医療目的で温泉を使っています。湧出量が日本よりずっと少ないので大事に使い、医者の統制のもとに入浴するようになっています。
日本は豊富に温泉が湧き出るから、まさに湯水のように使い、医者の指示などではなく、勝手に入っていたわけです。草津のように強い酸性泉が豊富に湧いている所では、庶民の知恵というか、それを利用する入り方をしていた。 |
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編集部 | 箱根でも、湯治は古くからありますね。 |
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岩崎 | 確実な史料でいいますと、鎌倉後期に金沢北条氏の四代貞将が持病の療養のために湯本に来たと、称名寺の住持剣阿に宛てた文書が金沢文庫に残っています。
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中村 | 豊臣秀吉が小田原を攻めに来たとき、将兵を底倉の石風呂に入らせていますが、そこは天然の洞窟で蒸気浴だったようですね。
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岩崎 | 江戸時代のことを考えてみると、前期には、医療目的で湯治に来ている。江戸の武士の湯治日記を見ると、 箱根に湯治に来るとなると、三廻り、二十一日間の湯治で、病中病後の治療という形になっているんです。一廻りが七日単位で、それを二回、三回と繰り返しています。少なくとも一日に四、五回、多いときは七、八回も入浴していたようです。
ところが江戸中期を過ぎると、温泉の入り方は、がらりと変わってくる。それが一番極端にあらわれるのは、お伊勢参りや富士登山の講集団の旅行です。従来は、東海道を行く講集団は、宿場である小田原や三島に泊まっていたのが、そこを通り越して、箱根の温泉に一泊して旅の疲れをとって、ある時はどんちゃん騒ぎをしたりして、また旅を続けるようになった。つまり遊楽化してくるわけです。 それを箱根の場合には、一夜湯治といいますが、結局、湯治の形が、一廻り七日を単位とした湯治から、一夜泊りという形に大きく変わる。集団宿泊という、箱根温泉がにぎわってくる一つの大きな方向転換にもなった。それが、戦後のある時期の社員旅行ぐらいまで、綿々とつながっている気がするんです。 |
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江戸の初期から言われ始めた「箱根七湯」
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編集部 | 「箱根七湯」という言い方は、いつごろから始まったんでしょうか。 |
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岩崎 | 七湯は、大体江戸前期です。三代将軍家光ぐらいになると、箱根七湯を廻るとか、七湯という言葉が出てきます。それ以前も、中世に、例えば芦之湯や湯本に、すでに鎌倉の武将やお坊さんが湯治にやって来た史料が幾つかあります。
江戸になって、それに塔ノ沢、堂ヶ島、宮ノ下、底倉、木賀を加えて七湯という形で総称され、そこにいろいろな病気を治しに、あるいは湯治に来るようになる。 |
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編集部 | 江戸前期の一廻り七日間というのは、全国的にも大体同じようなパターンだったんですか。 |
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岩崎 | と思います。 |
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中村 | それで江戸前期の湯治記録などを見ると、三廻りぐらいやっている人が多い。医学的な立場から見ても、やはりそのぐらいが必要です。温泉療法で効果があるのは慢性疾患ですから、一週間でようやく反応が出て、二週間で平らになり、三週間ぐらいでよくなってくる。
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